ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

FS2020大阪と私。(展示内容についても触れる)

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大丈夫。フリスタがある。

 

そんな風に私は、まだどこかで余裕ぶっこいていたのだと、今更まざまざと思い知った。

 

あほか、私。

 

 

 

 

 

あれ。緊張してない。

FREESTYLE 2020大阪。

その入場に並びながら思った。

 

同じ場所で5年前…FS2に行った際はとんでもなく緊張してた。

と、いうか戸惑っていた。

 

見たくて感じたくてその空間にいきたくて仕方なくて、東京に続き大阪も開催されると知った時は、マジで雄叫びあげた。

チケット販売日当日。友人たちとの連絡を密にし、まるでシンセサイザーに囲まれた小室哲哉のように家中のあらゆる機器を同時進行で操り、なんとか抑えたチケット。

しかし取れた時間帯は、当時幼児を抱えた身には厳しかった。くっ‥これまでか‥諦めざるを‥というところで、更に救いの手が差し伸べられた。

(お姉さまへ今改めて感謝申し上げ候) 

 

そんな奇跡が重なって、行ける‥!っていう大興奮で乗り込んだにも関わらず。入場列で、私は無言。同行の友と共に、脳みそはグルグル回るのに感情の行き先がわからなくなってた。

 

今思えば、2015年。

色々あった後での大阪会場だった。

その辺もまだ胸にあったし、FSには不参加だったものだから、「初めてみる実物」への興奮もあった。

テンションは上のホーで、ずりずりと保たれて、見ていいのかな‥?な緊張感も、そのうちに作品を楽しむスパイスになり、どれほどはしゃいでいたかは、当時その日のうちに書き殴ってるのでそちらを参照してください。←

 

itsukanosummer.hatenablog.com

 

最後に自画像を見て、言葉なくして呆然となった私がいます。

(自画像前で私を放置してくれた友にも感謝)

(そして、展覧会で再会した自画像はまた、まったく印象がちがった。←別記事)

 

 

 

あの時と同じ場所。

 

否が応にも思い出す当時の感情や景色は、会話も控えめにという、このご時世ゆえのものでだんだん私の中に蓄積されていった。

FREE STYLE 2020 は日記帳をこっそりのぞき観た感覚のFS2とは全く違っていた。

FS2は記憶ベースの印象では、大野庵以外はとても明るかった。

地下とは思えないような大きな白い空間。最後の自画像なんて眩しすぎて、壁に直接描かれてるんだと誤解して覚えていたほど。

FS2020は、穴倉にいるようだった。落ち着いた照明と、進むごとに変わる景色。

歩く両脇に、ぽとん、ぽとんと絵具(作品)が一滴一滴落ちている感覚。歩いてる通路はうっすらと水が流れていて、その両脇の色をちょっとずつ吸いこみながら流れてる。

そんな印象だった。

わぁ!とテンション上がって「へー!ほー!」というより、じわぁと沁み込んできた。

おそらく、嵐が休止して智さん自身もお休みの時期だからだろうと思う。

っていうか、私が寂しかったんだと思う。

 

感染対策としても、人の流れをつくるためなのだろう。

3つのブロックに分けられていて、「ここ越えたら、もう戻れないよ」のポイントがあった。

それを一個超えるたびに切なかった。いろんな色が混ざりすぎないよう、水流を止めた堰のよう。

 

 

 絵を語る学はないので、箇条書きに。

  • ちょんまげの子 裏の〇が表に出てきてる。年月感じる。
  • サイトウくんたち 久しぶりに会ったな。よぉ、変わんねぇな。
  • フィギュアたち どうしてもこの子たちの顔が智さんに見えてくる。この子の数ぶんくらいの智さんがいたんだろうな。
  • 色をやるシリーズ。真ん中を横切る黒の圧。無意識に5色を探す。で、この人を5色で縛る発想をしてることに、だいぶ反省。一個ものすごいぞわっときたのがあった。なんか、叫んでるみたいだった。
  • タツノオトシゴ 線の艶。描き込みのえげつなさ。勢い。強い。
  • ちゃぶだい あれ?鍋の痕跡ないな(めちゃ綺麗)
  • カイト 美しくて甘い。無駄なものがない。ちゃぶ台との落差。
  • ツボ智 会いたかったよ。てっぺんの色変わらずだね。
  • パグとパグとパグ 三匹に見つめられる一点に立つ。愛しさと切なさと心強さ。引き算のパグの真ん中に、これでもかってくらいの“詰まった”パグ。
  • ジャニーさん。メカでもサイボーグでも何でもいいから生き返るんじゃないかと思った。眩しかった。生命力満ちてた。不思議。
  • 24時間チャリT原画 面の美しさにびっくりした。
  • 白シャツ智×3 着てるシャツがどんどん大人びてる。08の智がこんなに下唇ぽってりだったか…?2015に閉塞感。
  • 二点テスト 隅っこも隅っこに展示。字がきれい。愛おしい。
  • ガマドン ケースに皮?がつけてあってアフロも箱の上に鎮座。かわいい。
  • 細密画 そうか枠はシルバーだったのか…。見れば見るほどなにかを探してしまうので、一歩下がる。あれだけ書き込んでるのに混沌としてない。色も差し込まれてて洗練。星空みてるみたい。
  • 映像 ドシュール。そうだわ。ソロコンでジャージ着てパントマイムする人だった…。笑っちゃうのにいちいち綺麗。映像入る手前に、床?を壁として展示。その隙間に白いスニーカー。ローラースケート置いてった光GENNJIじゃないですよね。ステージと靴とか。オタクは深読みして困る。

 

 そして、最後の部屋からでる細い通路。

その前には黒シャツ智が大きくいました。

 

作品集でも見ていた写真。なのに、妙に鳥肌が立って泣けてきてしまった。

FS2で自画像を見た時と似た感覚。ぞわっと込みあげてきてしまって、何と形容すべきか言葉を探すけれど、どうにも見つからなかった。

 

(帰って、どうにも落ち着かなくて、作品集を開いた。

2020…2…FS…と遡っていって、もう一回、それぞれ頭書きをみた。

それがすべての気がして、黒シャツ智へのあの鳥肌も、色の混ざった水流のたどり着いた先…その姿をドンと見た気になったんだろうな。)

 

これヤバい。

来ちゃう。ねじ切れそうな、震える夜が来る。

会いにいったはずなのに、そんでもない「区切り」を感じてる。

ぐおおおおおぉっと迫る寂しさを柔らかくしたのが、出口ギリギリの写真たちだった。

アラフェスのステージで、フィギュアたちを連れていって取られた写真。

真っ青の箱の中におさめられた何枚かの、最後の最後。出口の際にあったのが、

いつものデニムシャツで、ステージを歩く大野智の後ろ姿だった。

「またね。」

が浮かんだ。

 

大野智、青。

 

そんなのも多分、もういらない枠なのかもしれない。

作品に5色あれば嵐だ!って受け取っちゃう視点。その枠。

そうだよなぁ。ひとつそのメガネがあるんだよなぁと。

 

多分、これまでで一番「嵐」を入れ込んだ個展。

細密画にも、ワクワクの絵にも。大野庵のじゅーぅんの作品にしても。

 

でも、「嵐 大野智」を不思議なほど感じなかった。

「ただの大野智でいいと思う」

いつか彼がそう言ったように、30年分くらいのただの彼がいた。

 

「おおきに ありがとう」

 

って謝謝の時のように描いてくれたんだろうなぁって壁を横に、おおきにって!もはやうちの親(さんまさん)世代でギリだよ!なんて泣き笑いで突っ込みながら、ワクワクの時の自画像を見る。白く左を塗っていたあの時のから、カラフルにはっきりと塗り分けられた絵に、妙にホッとした。

よかった、とおもった。

 

その時々の色を拾い、モノクロの絵からカラフルに、影響も突破口も、どん詰まりも別れ道も水流はゆっくり漂って掬って溶け込んで。

そして、黒シャツの智にたどり着いたのなら私が見たのは大野智の人生だ。

彼が表した、彼の手による、大野智の人生。

 

『辿りつきたい場所』をもったとき

無私の心で描く力を失った

「好きなものを」「楽しんで」という言葉は美しい

----でも その 何と 難しいことか

ハチミツとクローバー 花本はぐみ】

 

 FS2で彼はずっと、その苦悩に触れている。

2020。5年経った今、“色をやるのが楽しい”が続いていればいいなと思う。

また買っちゃったんだよね、ってキャンパスに「好きなものを」「楽しんで」な心があるといいなと願う。

 

アラフェスの後ろ姿と相まって、私は多分。

 

ここに来てやっと「大野智」に、手を振ったのだと思う。

 

 

雨だ。

修ちゃんは雨に似てる。

姿を見るだけでほっとする…泣きたくなってしまう。

(中略)

そうだ 修ちゃんは きっと 私の雨だ。

一緒にいると深く息ができて

草や木みたいに ぐんぐんのびていけそうな気がする

いつも困ったような顔で 優しく笑う。

私の大事な 大事な人

 

ハチミツとクローバー より】

 

 

 

じゃぁね。

またね。

 

 

 

 

2021.1.23 追記

口に出したら、もう止まらなくなると思って知らんぷり見ないふりしてたけど。

この後、フツーに

「寂しいよ。」「会いたいなぁ。」

って声に出すようになってもた。

でも、多分。それでいい気がしてる。

寂しくて当たり前なんだし、あいたくなっても不思議じゃないんだな、と。うん。

いいよね。