今になってわかる。
ってことが、この頃ふわっと舞い降りることがある。
それが正解なわけではないと理解しながらも、「あぁ、そういうことだったのか」と自分のなかにスッと入るというか。
あのとき、ソロ曲の練習をスタジオでやらない智のことを相葉さんは「天才かと思った。」と言う。
練習無しにステージであんなに魅せるなんて!天才だよ!みたいな、いつもなら智はふふっと笑って終わったやりとりだろう。
おおのくんすごいね、で周りもちょっと感心‥みたいに終わる話だとおもったような気がする。
でも、智さんはあのとき「おれ、天才じゃないんだよ?」と返した。
声を少し裏返しながら。笑ってるけど相葉さん、一瞬グッと止まったように見えた。当時、それが違和感だった。あれ?
その前に鈴木亮平さんが、川のシーンの手順の話をしてる。無理だと言いつつ、翌日にはそれができてると言う話。
ノノ`▽´ル 練習した?
(´・∀・`) ‥練習、した!
このやりとりにも、!!だった。
多分、これまで見てきた彼ならば、
(´・∀・`)いや鈴木くんがね、すごかったんです
みたいに、相手の話にして閉じるだろうし。
2017年6月末放送だったと思う。
ならば、6/17に決意を打ち明けたと言うのは収録の後か前か‥わからないけど。
その周辺だったのかと思うと。
少し、理解した気になった。
智が自分の努力を話す、って事の意味も。
そこと前後して、上毛新聞でのコメントもある。同じく忍びの国番宣での記事だ。
(´・∀・`)そろそろ、自分の思ったことをやってもいい時期かなと思う(要約)
私個人的には、この言葉で湧くおおのくんがそういうなら、ソロアルバムかなうかも!ソロでコンサートしちゃうかも!な気持ちには一切なれず。
どっちかというとびびり倒していた。
智さんが自分の望みを前に出すというのは多分、いなくなるんじゃないだろうかと。
ここではない、別の場所に行く。多分。
ひとりで。
それはおそらくファンの子の届くところではなく、彼のための場所だろうな。
って認識だったから。
今になって、やたらこのときの上毛新聞での言葉を思い出すのは、FREE STYLE2020の写真を見たからだ。
作品を背に、腕組みして私服で、笑顔浮かべるわけもなくカメラ見据えた姿を見て、鳥肌が立った。
同じくIN THE SUMMER の写真がインスタにアップされた今日。
智さんがただただ、そこに座ってカメラを見た姿に、剥き出しの大野智だと思った。
いつか、智さんはインタビューで答えている。
おいらがいることで誰かが喜べば、もうそれでいいや、と。
これを見た時に、さすがアイドルの鏡!とか、やり抜く覚悟もったんだな‥とか、そんなふうには思えなかったし、どこまで己を押し込めるんだって、怖くすらなった。
実際、智さんはいつもそうだったと思う。
嵐のため、誰かのため。
人の前を照らすと、自然と自分の前も照らされたという人だもの。
でもね。
よく、自分の為だけには頑張れない。
って言うじゃないっすか。
だけど人の為‥といいつつ、それが不特定多数からの期待っていう、見えるようで見えないものだったら。
ものすごく大きな煙に巻かれるようなものだったのかもしれない。
(例えばそれが、他の4人のためとなればまだ、まだ、わかりやすく力になるかもしれないのだけど。)
いや、どこかで彼の充足感とかパワーの元になっていたとファンの子としては思っていたいけれど。
だから。
昨今、智が嵐の中で「嵐 大野智」をやりつつも「ただの大野智」で嵐の中にいるように見受けられる事が、あんまりにも嬉しい。
不思議なもので、そう感じるとJもとてもフラットに見える。
正解なんぞわからない
彼の口から「あのとき、こう思ってた」と語られる機会など、望めてボヤージュ。それ以外そう簡単には訪れないと思う。
私が勝手に見てきた中で、近頃やけにふわふわと、あぁそういう事だったのかなと、答え合わせのようにはまっていくだけなのだけども。
あぁ、2年という時間が与えられなかったら。
20周年ツアーで、区切りよく閉じたとしたならば。
こんなふうに、自分の中での思いを片付けてくこともできなかったのかもしれないと思うと。
ただただ、ありがたいなと。
剥き出しの大野智がいる、とこのあと半年って時になって思うことを、全くの見当違いなのだとしても。
いや、素とかでなくていいから
「嵐 大野智」を全うして欲しかった。
写真には笑顔で。アイドルであって欲しかった。
とは、思わないのですよ、私個人。
それより、ただの勘違いだとしても。
とんでもないファンサだと思う。
君の夢よ 叶えと願う
と歌う人たちに、私はどうしてもあなたこそと返さずにいられない。
あなたこそ、あなたの夢こそ叶えと願う。
ラルラリラ。
ラルラリラ。