ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

追記 あれから4年経って考える、voyage #16 責任だから の話

 

 

今更何を急に、と思うだろうが。

 

今日私は、すいも甘いも哀も楽もごちゃ混ぜに、嵐を見る日としましたので。

以前、“また別の話”としてた件について考えを置いておこうと思う。

ただ、ほぼそりゃそうだろって話なんだけど。

 

 

すでに4年が経つ。時は遡る嵐の休止前。

Voyageにて、「Ohno's diary」があった。

その中の「ずっと嵐のことしか祈ってないの、俺」(´・∀・`)について、ひたすらに語ったことがあるが、もう一つ書き残していたことがある。

 

「責任だから」(´・∀・`)

 

だ。

 

やっぱり酔っ払って、ちゃぶ台囲みながら彼はいう。

 

グループを組んでくれた以上は、そこに無責任に1人でパッと辞めるわけには行かんのよ

だから、そこの“責任”何だと思うんだよ

4人背負ってる責任と。

 

シークエンスはやともに、“1番嵐愛が強い”と言われた人だ。

愛と呼ぶと甘いし愛おしいけれど、それを責任と呼ぶ彼は、

「ずっと嵐のことしか祈ってないの、俺」

と、いうくらいだもん。

そんな自覚はなくとも、ずっとまとわりついていたのかもしれない。

 

相葉さんが、リーダー大野智について語った言葉に対してもそうだ。

 

ただ単にメンバー4人が幸せになってくれればいいだけの話だからね

 

中略

 

俺はそんくらい想ってんだよ、メンバーに対して

だからいけんじゃんって思うかも知んない

でもそれは“責任”だから

ちょっとやっぱ相葉ちゃんに嬉しいのは、“リーダー”だからなんだよ

 

ずっとなんだか心に残るこのシーン。

 

この時の言葉を、アルコールを抜いて推察するに、

 

もう、ここまできたらメンバー4人が幸せでいてくれればそれでいい。

嵐を20年祈りつづけた。同等にメンバーのことを想ってる。

それならば、まだまだ嵐を続けれるだろうと思うでしょ?

でもそれは自分が背負った「護る責任」があったから。

相葉ちゃんの言葉が嬉しいのは、

「4人を背負うリーダー」としての自分が、理解されたことで、報われたから 

 

ということだと。

 

智さんが、自分だけ脱退することを押し通さず、「嵐を畳む」ことに着地したのもここなんだろうなぁと思うの。

死ぬまでの宝というほどの嵐は、5方向の思い思われの塊だったんだろうな。

 

智さんが思う分、智さんも思われてる。

それを実感すればするほど、護らねばという責任は大きくなったのかもしれない。

もしかしたらそこに、ファンの子の思いもあるかもしれない。

まじ大切にしなきゃいけない人たち(´・∀・`)

と、言ってくれたことを信じるならば。

この世に1人しかいない「嵐リーダー」の「大野智」が護ろうとしたものはどれだけの範囲と重さだったのだろうかと、想像で震えてくる。

1番自分のことを後回しにしてきて、その“自分”

を保つひとつが絵だったりしたのだろうと。

だったら、あのとき起きた“絵への否定”はどれだけ彼を傷つけたろうな(脱線)

 

 

This is 嵐最後の挨拶に、「僕は明日から自分のことをちょっと考えて、自分の時間を大切に生きてみようと思ってます」と言ってからいま。

100%ではないかもしれないけれど、その“責任”

を肩から下ろした智さんは、どれだけ自分ベースに持っていけたのだろう。

 

自分が楽になりたいから、だけならばそれこそ“無責任”に、1人脱退して4人に分散して抱えて貰えば良かった。

だって、ちゃんとその“責任”も等分で持ってくれてる人たちだと智さんだって知ってるはずだ。

けど、4人の幸せも祈ったから畳むことに着地したのだろうと思うと、私はそれは大正解な大決断だったと思う。命懸け、というほどの。

 

メンバーが家庭を持ち、それぞれのペースでさまざまな仕事ができて、歩く道をチョイスする自由がある。

「それぞれの道を歩んでも良いのではないか」とあの時いったとおりに、4年経った今進んでるんだと傍目にはみえてるんだ。

 

 

だからこそ、思う。

 

例えば5人で集まるとなったら、そこにいるのは「嵐のリーダー大野智」なんだろうか、

なんて。

 

勝手な願いだけど、戦友5人がただ飲んでるってだけであれ、と。

にのみがいつか言った、“意識的に避けてるワード”が宙に浮いたり、それぞの手駒として握られているのだとしても。

5人いる時は、ただの仲間であれよと祈ってしまったりする。

 

20年。

ファンの子は、祈っていたと思う。

有象無象な時もあるけれど、きっと多くは。

幸せであれ、と5人分祈ってきたと思う。

 

彼が抱え続けた責任の切れ端だけでも、我らが背負えていただろうか。

背負えなかったにしても、あまりに重いそれを支える力の一つにはなれていただろうか。

 

最後のライブの最後の挨拶

なによりもファンのみなさん、

今日までついてきてくれて、

今日まで支えてくれて、

そして今日まで護ってくれて、

本当に感謝してます。本当にありがとう

 

智がファンの子に、「護ってくれて」と言ってくれるなら、ちょっとは我らも自惚れていいかもしれない。

あのとてつもねぇものを抱えた、嵐のリーダー大野智の力の一つでいたんだ。

って。

 

という、

寂しがるのかとおもったら、

とうとう自惚れ出したオタクの、4年経った日記。

 

おれら、大野智の風なんや。

 

 

追記

2024.4.10  午前5:05 

嵐5人の会社設立が発表されました。

すたーととは、どこまでの契約かわからないけれど、嵐のことは嵐がジャッジする世界線が生まれた。

ならば、散々書き殴り、せめて我らは支える風であれと祈ったこの話も少し変わってくる。

智が抱えできただろう、これまでの「責任」は消えないし、この先もあるものだけども。

もちろん、これまでだって5人で背負ってきたのだけど。

かつて智さんがいった、“大きくなくていいから面白いこと”が、やりやすくなるのかもしれない。

責任が権利と手を繋いで、5人横並びになるのなら

我らはより、風をおくるのみ