ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

あれから丸3年迎えるオタクの日記

 

早いもので、この年末で丸3年がすぎる。

あっという間に過ぎた気もする。

けれど、ちょっとぼんやりと過ぎた気もする。

 

勝手な期待をしていたオタクは、2024年と言うものに少しばかり夢を見ていた。 

マスコミの憶測や、そういう“雰囲気”があるのはそうだが、それ以前にどうしたって周年の節目や、縁起の良い日を選びがちなジャニーズ(あえてこう呼ぶ)の流れで生きてきたので、やむなしでもある。

 

やむなしに夢を見ているのではなく、

夢を見てしまうことはやむなしなので。

 

このおおよそ1年。

私はただ見ているしかできなかった。

 

ネット上で渦巻く、あれやこれやの反論や言葉も一体どこまで届いたのかも見えず。

ただ、大事なものが蟻の穴から崩れ落ちていくのをみるしかなかった。

 

名を奪われ、家が壊れ、それを当然とする空気に酸素まで消え、どうかどうかと祈るしかできずに時間が過ぎて、今現状オタクである私はオタクで行く先を見失っていた。

 

どうしても受け入れられない新たな姿は、そこに託すべきかの判断もできず。

たかだかまた1年続けますよ!って事すらも、すんなりとできないままで期限を間近にしてしまい、こんなめんどくさいオタクだったのかと己に呆れる自分もいて。

 

正直、楽しい1年ではなかった。

 

でも中にいる人たちは、人生の岐路な訳で。

そう思うと、無力だなと思ったり。

 

この渦中におやすみであることを、ちょっと良かったとも思ったり。

 

話は変わるが、私はただいま断捨離中でもある。なんとなく溜まってしまったものを、ちょっとずつ売ったり処分したりしていて、我が家に恐ろしいほどあるCD類も処分しようと思い立った。

多分1000枚以上はある。

8インチの頃からだから相当数。

なのにコンポがすでに無い。

重い腰を上げて選別をやり始め、1990年代の音楽達に懐かしく思いながら、嵐のCD達にも手をかけた。

もう、いっか。

って、思ってしまった。

コンポもないし、盤が無くてもサブスクで聴ける。困らない。

って、手放す理由ばかりかき集めて選別しはじめたら、頭ん中にずっと浮かんだ言葉があった。

 

またね(´・∀・`)

嵐の音楽を愛してやってくださいノ`∀´ル

 

な、もので。

久々ゆっくり、お気に入りのプレイリストかけたりしたら、その時の記憶がふわふわと蘇ってきた。

 

かき集めて読んだTwitterのライブのエピとか、セトリに一喜一憂したり、ライブDVDのフラゲ日にドキドキしながら再生押したお留守番組の気持ちとか、奇跡のようにオタ仲間集まったライブ参戦とか。

“プロフィールの背景に映り込んでるの、もしかしてやり過ぎちゃったカレンダー?”って、連絡くれた昔の同級生と、札幌遠征することになるとは思ってもなかったし。

楽しかったなー。なんか、やっぱり、楽しくてたまらんかったな。

 

って、手が止まった。

でも、一通り叶えたかったことが叶ったかもしれん、とも。

 

オタ仲間4人。参戦できた。しかもuntitledだ。これは意味があったんだわ、とか思えた。

遠征もできた。ちゃんとThis is 嵐で見送った。

充分だった。なんなら年明けて個展にまで行けた。納得したじゃないか。

 

 

いや、まて。

叶えてない夢がある。

 

覚えているかい、オタ仲間よ。

あの頃の同志よ。

 

大野智のディナーショーにいく。

みんなで行く。

 

あの夢を、やっぱ捨てられないんや。

 

ソロコンでパントマイムかます人だ

舞台を観に来れなかったファンの子が多いからと、舞台の一部をやっちゃう人だ。

翔さんと曲作ったかと思ったら、おふざけを最高愛しさレベルに持っていっちゃう人だ。

 

奈良さんも言ってた。

この絵を独学でやってきた人なら、描かない時があっても書き続ける人だって。

 

だから、何かがどうまとまっても転んでも、

周年の夢も、ディナーショーの夢も、ただのオタクの夢話としてその辺に浮いてるだけかもしれない。

 

けど。

覚えてるよね、仲間たちよ。

あの頃より少し時が流れちゃった同志たちよ。

諦めが悪いのも、悪くないよね。

 

オタクは夢を見るのが仕事だ。

夢の中に飛び込むために、万全の準備を整えている。

夢の裏にある現実が納得いくものかどうかは、その夢を作る彼らの判断を信じるしかない。

ならば。

友引にHPアップしてオタクにプードル見せ続けた二宮姉弟にも拍手しつつ。

 

はい。更新してきました。

 

それから。

 

先日、知人がトシちゃんのディナーショーへ行かれました。

ダンスでしくってしまったトシちゃんがとても悔しそうにしていて、と話しながら見せてもらったお姿は、そんな失敗吹き飛ぶほどそこに夢を作っておられました。

とても幸せそうに話す知人を見て、私まで嬉しかった。そうある姿が、羨ましかった。

 

いつかを夢見ることを、やめる。

それは多分決断して終えるものでなく、気がつけば忘れるものなのだろう。

じゃぁ、待とう。

別になくてもいいから。

幸せならそれでいいから。

夢見る先が忘れて消えるものでも、その時までは幸福なので。

 

 

元気で歩いていてください。

 

以上、丸3年のオタクの日記でした。