ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

展覧会(大阪) 青い部屋へ「君に幸あれ」

展覧会、行ってまいりました。

 

ネタバレというほど事細かなレポはできないのですが、内容に触れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、智の部屋は寺の本堂に匹敵した。

 

たくさん物が並んでるわけじゃない。

ただ、狭い部屋に、ひとつ、ふたつ‥愛用品が並んでいて、そのどれもがすごく丁寧に扱われてるようだった。

手の型も、あんなに節だって大きな手だと思っていたものが、不意に現れてしまうと、それこそ「智」がそこに見えてしまって。 

宙で手をかざすのさえ震えた。 

釈迦像を初めて見たような。

うち震えるものがあった。

 

そんな、推しを崇めるような気持ちを、スイッと、カウンターを滑るあちらのお客様からのカクテルのように吸い取っていったのが、51秒の映像だった。

ひたすらに躍り込む「大野智」の姿。

脳内の映像を探すように目を閉じたり、サーチ中が如く動く目。地面についてる時間の方が少ないのでは、ってくらいの足捌き。

あゆはぴチャプター16が、さらなる重みでそこにありまして。

汗だくの姿に、刺すような視線に、戦う姿を見た気がして、この人は人間なんだと。

 

ひたすらに努力して、ひたすらに戦ってる、人間なんだよなと。

 

そうしたら、もうね。

自画像でこみ上げるものがすごかった。

 

ありがたいことに、わたし大阪のフリスタ2に参加させて頂きまして。

(なぜかその時の感想文、引っ越せてないな)

 

あの自画像を見たときに、動けなくなった。

一緒に行った友が気を遣ってくれるくらい、なんだかもう、とんでもなく持っていかれまして。

脳内から消えることはなかったんですよ。

ずっと。

太い筆の強い動きも、白で表された顔の左側も、その上の金色の輪も。落ちる絵具の筋も、赤い目も。血が通うような、白の下の赤も。

 

けども。

フリスタで初めて見た時、怖かった。

 

過去記事、ちょっと抜粋。

ものすごく包み込こんでくるんです。
やわらかであまりに綺麗で、
それこそポカポカするんですけど。
でも、どっか切なくて。淋しそうで。
泣いてなんかないのに、涙が見えるよう。
なのに、菩薩かってぐらい、丸ごと受け止めてただ微笑んでるみたいで。

全部本当で、でも嘘みたいで。

今の大野智です。入り口にあった、メッセージが浮かんで。
やっと少し、そっか、と。
ワタシなりに飲み込んだ気がしました。

 

 

あの時の印象は、こんな感じでした。 

ものすごく柔らかなのに、混沌と葛藤の印象が強かった。

 

同じ絵のはずなのに、今日みたときは全然印象が違ったんです。

 

それこそ、泥から咲いた蓮の花みたいだった。

水面に凛とたつ、鷺みたいだった。

 

あんまりにも綺麗で、光があって。

すーっと美しく引かれた筆の線のような、上へ引っ張られるイメージがあった。

渦巻よりも。

 

見る側の先入観といえば、それまでなんだと思う。なんなら、え?同じ?同じ絵?模写じゃなく?ってくらい、ちがってみえた。

(なんならフリスタの時は壁に直に描かれ出たと思うくらい、大きくて境目の記憶がなかった。)

 

 

私には、今の智がそんなふうに見えてるって事なんだろう。

 

あの時、あんまりにもクルものがあって。

どうして自画像を書いたのだろうってこんこんと考えたりしたけれど。

今日見て、「自分」を描こうと思う程彼は、探してたのかもしれないなと勝手に結論付けた。

だから今、この絵がとても綺麗で筋が通って見えてるのかも、と。

 

 

 

あのまま住めるのなら住みたかった。

彼の詰まった小さな部屋で、ただただ彼を感じていられるなんでどんだけ幸せだよ、と。

 

でも多分。

この今の印象もまた、刻々と姿を変えてくんだろうから。

留まらず、ただただ見ていたいから。

後頭部の髪が全部抜け落ちそうなくらい、後ろ髪引かれて部屋を出ました。

 

もしかしたら、智といえばダンスとアート‥とそこに限られてしまうことをあまり好んでないのかもしれない。

フリスタだって、絵の評価を得たいとは望まなかった人だ。

自分が極めたい、好きだからやりたいと続けて来たことが仕事になり、絵もダンスも、自由の幅が減っていったのだろうと思う。

 

休止の間。

 

私は多分、お金が溜まってしまうだろう。

だからちょい色々みようと思う。

智さんも、アートも歌もダンスも、それだけじゃなくて。やりたかったことからやったことないことまで、なんでも好きな事を選んで欲しい。

 

ミッキーマウス描いてと言われて、その特徴をすべて裏返してくる人だ。

正解だとか、常識だとかよりも、自分の中のものを大切にできる人だ。

 

彼が「好きに」を得た後の姿を

もしもまた自画像で残す時がきたら。

 

誰にも見せないでいい。

でも、今のと見比べてどんな顔すんだろうって想像すると、勝手に百面相できる。

 

展覧会。

とてつもない愛の陽だまりの空間だった。

最小限で済む説明が、物語ってた。

 

色々浮かぶ思いをどうにも片付けられずに、ひたすらここに書いたりしてるけれど。

 

今1番強く思うのは。結局のところひとつ。

 

君に、幸あれ!