ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

ここから先は、別のお話。大野智の挨拶から。

 

もっとちゃんと、ゆっくり飲み込んで考えて。

そして書き残す方が良いのでは‥と思わないこともない。

 

だから、なんだかフワフワとしてる。 

Twitterで散々呟いたことを、ただまとめるだけの、そんなの!ただのオタクの戯言じゃないのさ!って笑う私もいるのだけれど。

 

そもそも、何をどれだけ考え込んだところで、結局はオタクの戯言でしかないのだよ。

 

じゃぁ。

これが、いま、NOW。

2021.1.1の想いだよと置いておいてもいいかと。

 

 

 

This is 嵐Live。

素晴らしかった。無観客なの逆手に取った巨大なステージ。本来、スタッフが忙しなく動き回るだろうステージ下まで、うまく使い切っていた。

嵐、すごいな‥。最後の最後に、オンラインライブの最高峰打ち出して、旅立ってくとか‥爪痕残しすぎでしょぅ?

 

さて。

そんな脳ある鷹が隠してた牙見事に跡を残したところで、智さんの最後の挨拶がネット記事にも上がってました。

 

私、智さんは泣かないだろうなと思ってたんですよ。多分、翔さんとの約束だと思ったらなんかのモードに切り替えてでも、涙は封印するだろうなと。(でも、それでも溢れちゃうのかなぁ‥なんて、ぼんやり思ったりもした。) 

 

ただ、印象として、

泣けるのは、明日があるから

ってのもある。

明日、また集まって「泣いちゃったよ」って話せるからで。続くからで。

だからその瞬間に、まだ続く道の途中に涙こぼしてまた歩ける。

歩く道がある。

 

「最後まで笑っていよう」を、守り通すことは、どこか義理を果たすような‥会見でも言ってたこの言葉は、智さんの中に相当大きく鎮座しただろうと思うから。

 

智さんの挨拶は、そんな背景もあったからなのか、とても美しくて、とても痛くて、やっぱり強かった。

 

4人への感謝として「人間性」を上げた根本にあるのが、「人はすぐ変わります」なのだと思うと、その瞬間に悟ってしまった。

 

智さんは、本当は全部全部“わかって”いたんだなぁと。

この際だからオブラートも捨てるけれども。

数々の報道においてのファンの反応も、

ファンの子達の中で起きる望むものの差も、

求める姿の違いも、

単純に彼のそばに居ただろう人への想いも、

知ることのなんかない、不都合がたくさん降りかかっていたのだろう。

 

そんな中で、ただただ信じられる人が4人だったのかもしれない。変わらないのは、多分、見た目とか性格とかだけじゃなくて。

お互いへ向ける信頼と尊敬なんだろうなって。

 

何かをしてくれるだけじゃなくて、嫌なことは絶対しないって言う信頼。

 

13年ごろ、人間不信な発言もあった。友達だと思って話したことが、表に出たりする、と。

たしかに、ファンレベルでさえ、大丈夫なの?な事もあったりした。

それすらも「人間ってそう言うものかもね」と言った彼は、その少し前には「もう、自分がいる事で誰かが喜ぶならそれでいいや」と言ってて。

嘘をつきたくない。って言ったのも、それくらいの保身、誰だって当たり前にやる事なのに‥!って。

どんどん何かを諦めていくようで、怖かった。

 

でも、そこにいる智さんは周りでどんなことが起きようとも無関心な様子で。

みんなが知ってるような流行りや話題も、興味なさげに笑っていて。

だからその瞬間瞬間でもつ「怖い」って想いも忘れて、智さんに甘えてしまってきた。

 

聞こえてない、知らないフリをしてくれてたんだな、と。

こんな最後の最後に彼からこぼされるまで、ちゃんとわかってなかったんだなと、ものすごくグサリと刺さった。

 

改めて考えりゃ、そりゃそうだよね。

あの人がさ、ファンの子の様子を気にしないわけないんだわ。

 

その一方で21年経って、「明日からは自分の事を考えて、自分の時間を大切に生きてみようかな」と、言ってくれたのが、嬉しかった。

 

ちゃんと全部“わかって”る彼が、人のためにと動き続けた彼が、自分のために生きるって選択をした事も。いろんなことを諦めてきただろう彼が、自分の幸せを諦めてしまわないでくれたことも。

こんな今更の最後に、よかった‥と。

 

それにね? 

 

嫌なことも嬉しいこともたくさんあったけど、同時にファンのみんなにもいろんな思いにさせてしまいました。

 

何よりファンの皆さん。

今日までついてきてくれて、

今日まで支えてくれて、

そして今日まで守ってくれて

本当に感謝しています

 

守ってくれて。そのワードが出るのが、大野智でした。ファンの子に、守られていると感じてくれることが。

 

同時にいろんな思いにさせてしまったのはこちらも同じ。

なのに、どこか彼の中で作品集しかりパグちゃんしかり、後悔の色があんまりにも色濃くて。

それこそ、いろんな意見があって当たり前なんだけども。

私としては、その後悔に待ったをかけたい。

 

 

 

 

 

彼が彼の幸せのために行動する事で、待ったをかける声にはもう十分耳を貸してきたと思う。

上毛新聞で、自分の思うようにやってもいい時期と話した先にあるのが今なら、それをこぼしてから十分な年月かけてきてる。

 

今日1日、どんな思いが彼を巡ったろうと、想像してみたりもするけれど。

それを語る場は、必要ないのかもしれない。

 

またいつか、人のために。

 

それがどんな形であっても

 

例え、同じ世界に戻ることなどないとしても、いつかの交点の先に

同じ形など存在しないだろうから。

ちゃんと美しく、ちゃんと全部わかって尚。幕を下ろしたのだから、盛大な拍手と感謝しかない

 

またねっ!ありがとぅ!(´・∀・`)

 

完全、映画のラストシーンだった。

 

つまり、

ここから先はまた、別のお話。