初めて聞いたとき、全身にゾワッと何かが走った。でも、あまりの情報過多とあらゆる感情の波が湧き出る状態だったから。
ちょっとまて。一旦落ち着こう。
これは今は咀嚼できない。
それよりも洪水のようなこの溢れ出まくるものを、まずは整理しよう。
話はそれからだ。
と、私の中で “一旦、保留” にしていた言葉がある。
Voyage 「Ohno's diary」、その中の
ずっと、嵐の事しか祈ってないの、俺。
この話をしたい。
じゃぁ、一個ずつ零してみようかなと思う。
夏も終わるし。
そこに行く前にひとつ。究極のワードがある。
それこそが、
「愛とは僕です」。
そう言ったのはどこかネタも含んでいただろうけど、言い得て妙。
大野智は、愛の人だと私は思ってる。
あの愛され体質、尽くされ具合からしてもきっと想像に難くない。多分まちがえてない。
けれど、その根幹はむしろ智本人が「愛し、尽くしたい人」だからだと割と真剣に思っている。その片鱗がずいぶんと、見え隠れし始めたと同時に、心配も尽きなかったけれど。
ただ、彼の愛のカタチ(あくまでファンの子としての視点として)は、あまり主張しないタイプのものだ。伝わりにくいかもしれないし、届きにくいのかもしれない。
そこに居続ける。
愛されてることも、尽くされることも拒否しない。
と言う、タイプの愛情は。
でもね、これはものすごい懐の深さと信頼がないとできない事だと思うんだわ。
アイドルなんだから当然!とか、そう言う尺度の話はのちに回収するけども、さらにはファンの子へと、メンバーへが同じラインでまとめられるものではないとは思うんだけど。
ただ、カタチとしては同じvoyage 16の中で相葉さんが語ったことに証明される。
1番上に立ってる人が、
1番自分を捨てなきゃいけないっつうか。
もうそこを守るために、すべてを捧げる人だから。
ファンの子がどんなカタチで、智さんや嵐を愛したとしても、本当の自分がどうかよりもその愛を受け止め続けてくれた。
その姿を、メンバーもずっと理解していた。
ニノが24時間テレビの手紙で言った、「本当はひとりでいたいのに」と言うのも同じで。
お土産にどうぞ、と車のトランクから薔薇の花束出してくるような不器用な愛を渡すのでもなく。
どんな条件でも「飲もうじゃないか!」と受け入れるんだから受け入れてと懇願する愛でもなくて。
彼が唯一向ける愛は、自分発信というよりむしろそんな様々な愛を、微笑んで受け取り続けるというものだ。
つまり大野智は、愛そのものだ。
だってファンの子が智へ向けて放った愛であふれてるんだから。
アイドルとして当然!論はこれで決着ついてしまわない?
さて。本題に行こう。
ずっと、嵐の事しか祈ってないの、俺。
この言葉の破壊力が、伝わるだろうか。
相葉さんの先出の言葉に、涙を零して言ったこの言葉のとんでもなさが。
智はずっとずっと嵐の事“しか”「祈って」こなかった。
考えなきゃいけないことは、星の数程あったのだと思う。
人生、年齢、仕事、家族。それから、友達や‥生き方とか。選択して、迷って悩んで。
自分の事ならばそうやって、考えれば道は見えたかもしれないし、多分彼のことだからちゃんと見据えてたのだと思う。
でも、「嵐」は自分だけのものではない。
けれど自分はこの世界で唯一の「嵐のリーダー」だ。
リーダーとして、守らねばならない。
そこで智さんの手段が、
我が身を捧げて、祈り続ける
なのだったのだ、と
この時初めて目の当たりにした。
そして私には別の意味にも聞こえたんだよ。
ずっと、嵐と心中するつもりだったの、俺。
そんなつもりないよ、と智さんは笑うかもしれないし。そうさせない4人がいることもわかってるけれど。
彼が「命懸けの決断」と言う背景には、つまり。
一緒に死ぬくらいのつもりで祈り続けていたものを、「考えて」止めると、決断したからなのだろかと想像してしまったから。
酔っぱらった彼が、相葉さんの話でつい感情溢れちゃっただけでしょう?
って落ち着こうとする私が言うけれど。
でも「祈る」って行為と感覚が、ずっとずっと智さんの中にあったものだって。
ファンの子は知ってるんだよ。
(だからこそ、自分のことを忘れないでいてくれたことがとても嬉しかった。休止の意味の中に「自分の幸せを考える」ってのが含まれるのなら大賛成だ。我が身を犠牲に他の繁栄や幸福を祈る姿は美しいのかもしれない。けど、私は‥智にお腹空かせた虎の子の前にした釈迦になってほしい訳じゃなくて。彼が幸せだってことで幸福を感じたい。)
では。最後に。
ただ単に、メンバー4人幸せになってくれればいいだけの話だからね
確か日経エンタだったかと。
Are you Happy?のこれまでになかった形(ソロとは別にプロデュース曲があること)についての話だったかと思う。
ニノは一万字インタビューの中で、
30代中盤にさしかかって、なんか一回一緒に心中してくれませんかっていうくらいのね。
悪い評価を受けた時に、一緒に死にませんかって言われてる気がして。
(抜粋)
と、新たな形についてはなしていて。
言葉の響きは明るいものではないけれど、ある意味では覚悟しかない言葉だと思うんだよ。
相葉さんの
降りてく景色も、5人で見たい
って言葉も同様、どうなったとしても空中分解させないっていう強い意志があって。
それはおそらく、翔さんやじゅーぅんも同じように持ち合わせてる「覚悟」で。
そうして思い馳せると、どうしても幸せな未来ってものが見えにくいんですよね。
覚悟と言うと、苦しさに耐えるイメージしかなくて。けれどそれくらいの強さが無ければ生き抜けない場所なのだろうし。
だから。きっと。
ずっと嵐の事しか祈ってない、そのひとつは
、ともすれば思い詰めてしまわないように「覚悟」から解き放つことを必要だと感じたのならば。
ただ単に、メンバー4人幸せになってくれればいいだけの話だからね
が、「嵐」だけじゃない幸福を、という事なのだとしたら。
あぁ、「愛とは僕です」に間違いはないと着地してしまうのです。
私は、15周年ハワイの多幸感を未だに忘れないのですけれども。
あの日の智さんの涙ほど美しいものはないのでは?って、行ってもないハワイのあの場の空気の匂いや湿度まで思い出すくらい濃いめに想ってるんですけれども。
それと同じくらい、胸の奥にその声を潜ませてる言葉があって。
その場に居なかったはずなのに、その声が脳内再生されるくらいしっかりと鎮座している。
つまり、今のこの全ては大野智からの愛だ。
しかも受け取り続けるという愛をくれてた人からの、とびきりの。
ちょっと何言ってんの?ってツッコミ入ったとしても大丈夫。伝家の宝刀がある。
あなたたちの記憶が
大野智そのものです
そう。
私の大野智は、私の記憶と同じなのだ。
私の中での彼は愛のかたまりだから、
つまりそれで正解なのだ。
と、言うところまで思い至って。
あぁ、やっぱり。
そんな万人万色な愛を、微笑んで受け取り続ける。
つまり大野智は、愛そのものだ。
(無理やりの着地)