ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

夏の終わりに思うこと(智さんのダイアリー前に。)

 

 

ここのところ、下書きばかりが増えていく。

思うところも、カウントダウンの声が聞こえてきそうな今は、ひたすらに溢れて溢れて仕方ないのに。

ここに記す「読み物」として、それをまとめる力がどうしても足りない。

 

今日そう思っても、明日は違うかもしれない。

今望んだことが、一週間後に叶いそう程の情報過多、提供過多。

仕事行ってる間に、アルバムが売り切れてしまうなんて言う、そんな現象にさえ“キタキター!そうよこれよ!この感じ!”とはしゃいでしまう今、私は不意に調べた12色相環にすら、感傷的なくらい不安定に揺れている。

 

いよいよだな、と思ったので

もうなんでもいいから、ただ書く。

 

誰がなんと言おうと、オリンピックがいつだろうと、嵐は2020.12.31で止まる。

 

そのことに、震えて震えてひたすら抱えてきたもやもやふわふわと湧く感情は、寂しさだけではない。だって寂しいどころではない。

2021.1.1から、景色に色がつくのかどうか。

それぐらいの不安が渦巻いている。

 

2年の時間を、嵐はくれた。

その間に、私もひとつずつ覚悟を決めて行かなきゃならないと思った。

ところがだ。気持ちのお片付けどころか、どんどんと供給されるコンテンツ。まさかの新曲、まさかのワクワク。なんならまさかのワクワクホームルーム。置き土産でもいいから、置いてってくんないかなーって思ってたオリジナルアルバムの発売。まさかのぶるーのまーず!

あんな嵐見れるとかずーっっっとずーっっっと欲しかったやつやん。

見たかった大人嵐じゃん。大人智じゃん。

アラフェスだって諦めずに、ある。

さらには個展まで。

個展、まで。

まして智さん、パン屋さんなっちゃったじゃん。なにこれ、なんなの?幸せすぎるでしょ!?

仕舞い支度の暇がない。

 

でも、笑ってワクワクしてドキドキしながら、ふっと横切る。

寂しくて不安で、切なくて胸がネジ切れそうな夜がくる。

のたうちまわって、泣き叫んでやりたいような日がある。

 

でも、今、彼はここにいるから。

いてくれてるから。

ただひたすら感謝を伝えたいと、Twitterに「ありがとう」を呟いてく。

公式にリプなんてハードル、エベレストなのに“髭が好きです”と言い逃げしてしまうくらいには。

 

作品集も読んだ。

15年のことがなかったら、今はまた違ったか。

そんなifは多分、同沼に住む住人の方の多くに、休止が発表されてからは‥いや、その前の未完や忍びの番宣あたりにはちょっと過ぎってたと思う。

15年年末前あたり、明らかに智さんの顔つきが変わった時があった。パフォーマンスもキレキレだった。

だから、大野復活だぁ!なんて、思ったりもした。けど、その後の表情が動かない時期や、何度も下唇を噛んでたりしてたことを思えば、あの時吹っ切ったんじゃなかったんだなぁ。

胸の中に隠したんだ。

ぎゅーっと、押し込んだんだわ。

 

Voyageを見ても、作品集でも。

番組ひとつとっても。

 

大野智から向けられるのは、徹底して“愛”だ。

 

この2年、ただひたすらにそれを感じとってきた。

愛とはぼくです(´・∀・`)

な彼のひとつひとつを、こんなにも優しく届けてくれている事に感謝しかない。

 

島が必要ならオタ集まって買う。

山が良ければ、見繕う。

休止中になに不自由なく過ごせるように、ジャニショに写真置いといてくれたら買うし、

多分おかしいくらいYouTubeみるから、広告山ほどつけといてくれて構わない。

 

おばちゃん、この歳になって嵐見たさにTikTok始めちゃったものだから、ポエムもよくみる。

宇宙一幸せな片思い、とか。

 

そこでいうなら、私は大野智に恋はしてない。

だから片思いではない。

でもひたすらに愛おしい。ただただ、護りたい。存在に癒され、憧れ、学んでる。

同い年の男の人を相手に「かんわいぃぃぁぃ!」って悶えながら、元気なのかなぁ?なんて親のような想いを馳せるなど、もはや立ち位置が謎すぎて自分でもわからない。

同じくTikTokでよくみる感じでいうなら、

My babe

my treasure

I swear my forever

の方がわかる。

 

億万分の1で、想いを伝える場が与えられたとしたら。

大すきです。も、だけれど、多分‥

「幸せでいてください。」

と智に手を合わせて拝むかもしれない。(謎)

もう一言言えるなら、ごめんなさいも‥。 

 

とか、考えてたんだけど。

 

ありがとうございました、に尽きるかもしれない。

 

2021。

智が無事に平和に、望んだように。

私はワタシと旅にでるように。

過ごしていて欲しいな、とばかり考えていて。

 

結果、あれだけ、やらなきゃなと思っていた覚悟を決めることも、仕舞い支度もなんにもできてないでいま、ここにいる。

 

Ohno's diary の予告を、ちょっと自分でもわかんないくらい見ながら。

これ確実に泣くだろ!?って、震えたけど。

 

ばぁぁぁか!(´・∀・`)

には、じゅーんへの愛しかなかったし、

しょーちゃんのLINE保護して(´・∀・`)

には、しょさんへの感謝と信頼しかなかった

タバコ燻らせて、ジャニーさんの絵を見る背中は、誰も立ち入っちゃダメなやつだった。

 

 

ずっと。

智の言葉で、大野智の言葉で想いを聞ける日がこないかなぁと思ってきた。

そんな機会が来たことに、喜びよりもまず緊張が走る。

そこに嘘がないと、確信してるから。

 

 

智のファンの子で、嵐のファンで

いれてよかった。

大袈裟じゃなく、人生がかわった。

じゃなかったら、今の私はない。

 

この人についていきたい。

応援していたい。

そんな願いが彼の邪魔にならないように。

 

腕時計つけて、Tシャツ着て、今日は額をかったよ。ポストカードを飾った。

 

多分。

2021以降、もし不意にインスタのストーリーとかで、この時計の左手が隅っこにでも写ることがあったら。

 

その時やっと泣くんだと思う。 

元気そうだな、なんて。

嬉しくて。