とにかく、untitledが鬼門だ。
いや、不吉なわけではないからちょっと違う。
けど、新たなフェーズにのし上げていってることに間違いはない。
会見から1年。
ライブDVDが(怖くて)見れなくなったもんだから(震える)、当然のようにアルバムも聞けなくなった。
シャッフルで、バラバラに楽曲が流れるのは良い。
新曲もよい。
だけど、一つのアルバムとして、一枚を聴くことが怖くて堪らなくなってしまったもので。
特にuntitledは無理中の無理ーだった。
が、ね?
展覧会に行って、思いましたん。
こりゃ、恋の刺激じゃないわ。
陽だまりの愛だわと。
受け取るものは、あったかかった。
な、もので小刻みに震えつつ。
untitledを再生。
聞いてみたら呆気なかった。
なんだ、言ってたんじゃん。この時から。
「未完」
今までの嵐ではなくなっていくこと。
新しい事をやってくこと。
後戻りも、振り返ることもしない。
ただ前だけしかみない。
疑問に対しての答えは、ここにあること。
それは自分で見つけて下さいと委ねられてること。
ついてくる?と、問いかけられてること。
今思えば、ここまで普通にこの先どうなるかを名言されてたんだなと。
Song for youで軌跡とありがとうを歌い上げ、その後にはこれからは切り替えるよ、と。
未完冒頭で、Don't you call my nameって言うんだもん。
はじめは、untitled「無題」、
輝き出す未完成の「I」、
だから名をつけて、今後を決めつけてくれるなってことなんだと思ってたけど。
俺たちの名前はなーんだ!?
な5人が、名を呼ぶなという事に、今更のように震えた。
あぁ、役を降りるのだと。
嵐は嵐役を降りるんだと。
10周年後から、ひたすらに求められる嵐をやり続けて、応えて、ただ応えて来たのだろうと思う。
嵐ってこうだよね。
を守り続けたし、なんなら5人もそこを大事にして来たのだろうな。
けど。15周年越えて、ひたすらに尋常じゃなく祝われる10周年、己を嵐を振り返る15周年ののちに、嵐のエンターテインメントの最高峰Japonismで、ジャニーさんをも納得させて、金字塔を打ったのだと。
いや、打っちゃったんだ。
だからグイッと内を向かざるを得なくなったんだ。嵐で次何ができる?何がしたいの?って。ソロ+プロデュース曲ってのは、翔さんの言葉を借りたら点検だった。
5×20ツアーを終えた後。いや、薄く重なっているけども。
嵐は今までの「嵐っぽい嵐」をやらないんだと思う。
CD盤よりも配信だし、遠慮なくRebornもremixもやってく。
ファンの子の望みなど、おそらく熟知してる上で(展覧会みるかぎり、何がみたいのかは届いてるのだと)、嵐でやりたい事をただただやり尽くす残り1年。
それが今なんだろうなって。
なんて事を言い出すとね。
ファンの子の事は置いといて。とにかくやりたいことだけやる。誰になんと言われても。
みたいな風に捉えてしまうけど。
「未完」の中で、嵐は光の中歩いてんですよね。turning upでもトンネルから光の先へいくんだし。
その光、我々のペンラだと思えば。
嵐はARASHIになってくんだろうね。
40代を前に、期限付きの今に。
ご機嫌に喜ばれることばかりを選択することより、進む事を選ぶ。
それやる覚悟を持ってる。
我々は風らしい。
どこへ吹くかは、我々の自由。
国立を終えたら、キングストーム号に乗って(多分世界進出的に)旅に出るのだと思う。
私内で、正解など出ない。
後から振り返って、総じて楽しかったねと言えればいいとかそういう話でもない。
一緒に旅をしてるつもりはない。
いつだってちょっと後ろを、うちわ持って追いかけてる。ゾロ並みに両手と口にうちわ咥えてる。
それが続けばいいな、と。
性懲りもなく思ってるんだよ。
なんと言われようとも。