ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

とっちら 満たされてるなら

 




わりと頻繁に

でたよ(艸д゚*) 






なんか、ずっと頭ん中で引っかかりのようなものがありまして。

なにが?どう?
ってのをうまく説明できないのが、ほんともどかしいんですけども。


もどかしいまんま、メモっておきたくなったので。
書きながら、なんとなく答え探したいなと。


つまり何?って落ち着かないやつだと思いますが。伝われください。







ふと。


あれだ。
と、思いついて見始めたのが

『アイドルの今、コレカラ』

ZEROの特別版で放送されたやつです。
確か、これが放送された日私は旅先でして。
正座して、画面に釘付けになっていたのを思い出しました。

あと、ZEROで上海の個展を追ったやつ。


で、やっぱ確信した。


大野智って人は、根っからの表現者なんだわ。

子どもの智が、絵に興味を持つのも
14歳の智が、踊りに興味もったのたも
16歳の智が、京都にいったのも

それから、個展にしても。

仕事→家→寝てまた仕事
この毎日に耐えられなくなったから、絵を描いたという話からは、智の中の『自分の思い通りの表現』を追求したい欲求がフツフツとあるように思うんですよね。

作品をつくるのは、誰にも邪魔されず自分の采配でいかようにもできる自己表現だからなんだろうと。

だからこそ、「これ18歳の時の絵」とすぐわかる智が「絵は日記」と言うように、ぽとりぽとりとその時の感情が染み込んでいってるんだろうなと。

多分、懐かしい音楽を聴くとその曲をよく聞いていた頃の自分を思い出すように。





フリスタ2に行った時ね?

智沼の住人と共に行ったのですよ。
久々に会うし、お互い智が好きすぎるし、キャイキャイしてたんですよ。
ひっさびさー!って。
看板前でお写真撮ったりしてさ。

それが、入場列に並んだときに我々言葉が出なくなったんですよね。

ライブの前なんぞやかましいわ!ってくらいなのに、なんか言葉が出なくて。

後から思うに、

いいのかな?これ、ほんとに見てもいいのかな?

って緊張してたんですよ。

智の中身、見ていいのかな?
覗いてしまって本当に?
見てしまったら、何思うんだろう。

って怖いような。

(で、壁に直接描かれた自画像みて、泣きそうで奥歯噛んでた。泣いたらメガパンダになるから。)



それも込みでなんとなく、思うのが
嵐としての表現と、智自身が持つ自己表現が多分今、緩やかに混ざり合っていってるのだろうなと思う。
しばらく絵を描かなかったのも、吐き出すほど欲求が尖らなかったからではないのかなぁと。

興味がないとか、やる気がないとかそうではなくて。チャンネルが今、智個人でなく嵐に向いていて尚且つそこがかさなりつつあるのだろうなと。

嵐の中でくすぶる欲求を、自分一人で消化してるのではなくて、五人が本当に良い関係でお互いの中のものを嵐に還元して行ってるんだなぁって。


だからだと思う。

シークレットトークもそうで。

みんなに正解のことはできない
誰かの正解は、誰かの不正解

そんな話の中、

全員納得するのは無理だね。
まぁ、うちらの思うようにやってみよか。

智がそう言ったのが軸な気がする。


そんで、その流れはジャポで突き詰めたジャニーズである嵐のエンタメであり、あゆはぴ→untitledの流れを思うに
『嵐が嵐でやりたいこと』
を突き詰めていく方にシフトしていったんだろうなと。

で、その突き詰め方は智にとっておそらく
心地よいのだろうなと。

君のうたメイキングでも、「最近いい感じ」と言うくらいだもん。
珍しいよね。智がそんな風に言うの。


きっと今、ほんとに智はいい感じなんだろうな。

バランスが取れて、満たされてるんだと。

じゃなかったら、タチウオもってあんな笑顔しないよなあ。
いくら船の上とは言え、仕事でもあるのに。

智から絵を奪い、釣りまで奪うのじゃなかろうか。彼が生きる上で不可欠なものを、どんどん仕事にして奪い尽くしてるのではなかろうか。

なんて、思う節がないわけではないけれど。


きっと今、良い状態なんだろうな
って見てて思えるから
それがアニバ前ってんだから。


なんかすこし、私も満たされた気がしたもので、
メモっておこうかと。

相変わらずとっ散らかりました(๑꒪ㅁ꒪๑)"



以上