ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

とっちら 逃げなかったという記憶 桐山零と大野智

 
 
 
改めて、7/26のラジオを聞いていたんですけどもね。
 
 
 
 
なんかね、だんだん居酒屋で話聞いてるような気がしてくるんですよ。←病
 
向かいでね、ビールのグラス傾けながら。
刺身つっついて。
 
俺は、こう思ってるけどね?
 
って、テーブルに肘ついてさ。←病
 
話し方も、ちょっといつもと違った気がするんです。
内にある言葉なんだろうな、と言う躊躇いのなさというか。
話しながらどこかに、『これは俺が思うだけだから、理解されなくてもいいんだけど』っていう、強い一線引いたものがあるというか。
 
端的に言うと、有無を言わせないものがあるんですよ、なんか。
 
 
なのに、柔らかいの。
なんなんだろね。なんなんだろ、ほんと。
大野智って。←すき。
 
 
でね?
 
初めて聞いたときも思ったのだけども、この考え方ってね。3月のライオンの桐山くんと高橋くんのシーンが浮かんだのですよ。
 

高校で、野球スカウトを受けて地元を離れるかどうかを迷う高橋くん。
 
中学生で、将棋界でプロとして生きる道を選んだ桐山くん。
 
もう、プロなのに。
なぜまた高校に通おうと、一年遅れで編入したのか。
 
そんな、疑問への答え。
 
 
これね。
智もですけど、本当に芯に必要なことだなぁと、改めて思ったんですよ。
 
智のいう
 
なぜならそこに、一生懸命があるから。
 
 
零くんの
 
『逃げなかった』って記憶が欲しかった
 
は、共通するものがあるというか。
根っこは同じ気がします。
 
 
高橋くん(野球少年)も話してますけど、
 
自分を信じるための要素
 
が、『そこに一生懸命がある』や『逃げなかった記憶』なんだろうなぁ、と。   
 
智さんを見ていると、この人は本当に“愛されて、信じられてきた人”だと、思うことが多めですよ。
 
母ちゃんも言わずもがな、周りの人たちからとにかく愛されてきたのだろうと。
 
 
もちろん、なんですけど。 
何もかも一生懸命やらなきゃならないわけでもないし、何からも逃げずに戦わねば!というのではないですけど。
 
これは、と自分で選んで 
これだけは、と自分を奮い立たせる
 
それができるのは、過去の
あの時、頑張った
の、小さな積み重ねかなぁと。
 
 
思ったりした、夏休みの午後。
 
暑さで気だるげなお子を見ながら、思いましたとさ。