大阪の個展、当落発表前に。
奈良さんのツイートを見て、なるほどな、と思いましたよね。
zeroでの対談で出会ってすぐ意気投合した。
その理由ってのが、なんか垣間見れる気がします。
自分は、ほ~~~んと古いタイプだなぁと思う。鉛筆1本で何が描けるか!?ってことを考えてしまう。テクノロジーや大きさよりも、自分ひとりから生まれるちっぽけなものに一生懸命になる。アーティストとは呼ばれたくない。ただの『人間』だ。そう言われたら気持ち良い。悩み苦しむ人間だ。
— yoshitomo nara, the washing hands man (@michinara3) 2015年12月14日
これ、ほとんど同じこと、智さんも言ってますよね。
要約ですが
『俳優とか、アイドルとか呼ばれるより、ただの大野智でいいと思う』
こういうところが、実はそっくりな2人なんだろうなぁと。
奈良さん56歳ですよ。
智さん、35歳ですよ。
ほぼほぼ親子なこの年齢差で、“感覚が似てる人”との出会いがある事は、奇跡的だと思うんです。
例えば、似てるところがあってもこれだけの年齢差あると、積んできた経験も違う。
と、なると価値観も変わってくる。
青臭く感じるようなことに、向き合える余裕。
だから、奈良さんの懐の深さというか広さ、それから智さんの素直さとか柔軟さが、うまく噛み合ったのだろうなぁって。
今日も、まともに制作できないまま朝がやって来た。自分はいつも、悩み苦しみ、己の小ささを自覚する。等身大であることさえ、表現するとなると大きなプレッシャーだ。でも、いいのだ。自分はアーティストというよりも、そこらへんにいるロック好きのおっちゃん。その自由さがあればいいんだ。
— yoshitomo nara, the washing hands man (@michinara3) 2015年12月14日
等身大、って1番難しい。
ありのままとワガママの境界線が、まるでわからなくなることもあるから。
嘘がない姿を描くことは、評価が棘にも花にもなるし、それがダイレクトに届く。
それには、どうしたって精神力がいるんです。
ただのロック好きのおっちゃん。
その自由さがあればいい。
世界的に活躍するアーティストであり、56歳になって尚。製作者にとって、自由さっていうのは、永遠の願いなんだろうな。
身の丈を知ってること、それでも戦おうとすること、そこに生まれる窮鼠猫を噛む的な力に支えられてきたな~自分、って思う。ちっぽけな日常の中にこそ、表現すべきものが横たわっている。つか、それに気付かず、大きなものだけを見る人にはなりたくない。大切にすべきことは、いつも隣に在る。
— yoshitomo nara, the washing hands man (@michinara3) 2015年12月14日
窮鼠猫を噛む的な力。
追い詰められては、乗り越えてきたのは、きっと嵐も同じ。
智さんも、きっと同じ。
大きなものだけを、見る人にはなりたくない。
これと同じかはわからないけど、
『大きなことでなくてもいいから、面白いことをやりたい』
やっぱ似てんだなこの2人笑
嵐5人は、それぞれバラバラな5本柱。
それがアスタリスク描いてこそ輝く。
きっとそのそれぞれの柱は、もう1つ、外から力を受け取る為の道筋を持ってるんだよね。
智さんの場合、その出会いの1つが奈良さんだったのかなぁと。
パグの絵についても。
『美大の卒業制作のような、勢いを感じる』と、奈良さんは話してたし。
ただの趣味、から、個展の為の作品、を描いた智さんの作品に対しての、超的確で、超愛情ある評価ですよ。
大切にすべきことは、
いつも隣にある。
そして、ちっぽけな毎日に転がってる、表現すべきもの。
それを見つけていきたいなぁ。とね、思います。