ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

とっちら 追記 セカオワ『SOS』というか、珍しく主のことをとりとめなく。

1番下に追記しました。
 
 
 
 
 
まずは、こちらをリンクいたしますか。
 
見事に、MVも和訳も載っております。
 
 
 
さてと。
最近、すっかりセカオワかぶれでおりますが。
(安心してください。智、聴いてます)←死ぬほど
 
このSOS。
初めてMVを見て、鳥肌がたったのです。
英語詩ですから、ストレートにその言葉が頭に入ったわけでは当然ないのですけど。 
 
感動して、というかゾワッとくるというか。
よく当たる占い師に、明日の不幸を言われたような。そんな鳥肌。
 
で、のちに和訳を知り読んで、あぁそれでか‥と、妙に納得致しました。
 
そして、さおりちゃんの気持ちもわかる気がしましたよ。勝手ながらね。
3月のライオン、を読んだりしてることも相まって。
 
あんまり私自身のことを記事で書くのは、得意ではないのです。
今まで冗談のようなネタとか、アメ限とか、日記的に少し書いたことはあったのですが。
 
お話書いた時に、これはあの話か?となるのが苦手でして(。ノω<。)←単純にネタバレが恥ずかしい笑
 
でも、少しだけ。
思い出話でも。
 
まぁ、楽しいことではないのでスルー推奨です。いや、ほんと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かきものゆう、という人は‥
まぁ、過去のお話でいうところの、
リコ、と、美波を足して2で割ったような人です。←どっちも智の話のヒロイン笑
 
なかなか、ひねくれた子でしてね(;^ω^A
なにせ、将来の夢が「その他大勢」でしたから。
 
小学生でもかなり現実主義の子でした。
→この現実主義具合を、ものすごくわかりやすく披露できるエピソードがあるのですが、まぁ‥公の場では控えます。( ̄ー ̄)親のため笑
 
『SOS』
これを聞いて、こんな曲を世に出したことに、ため息と感謝と両方現れました。
 
 

君にこの歌を歌うよ
少しの間、そばにいて聞いて欲しい
きっと長い時間かけて大切な曲になると思うんだ

 

絵本を開くような、小さな子どもに大人が語りかけるような。

そんな風に始まる曲。

 

 

じゃぁ、このあと、少しだけ歌詞を見ましょうか。

 

助けを求めてる人は毎日「助けて」と叫んでる

でもその音が続くとどんどん
聞こえなくなって無感覚になっていく


1回目は「助けて」が聞こえる
でもそれはそのうち「騒音」になる
そして「騒音」は「静寂」になっていく
こんな風に言うと難しいかもしれないけれど…

世界から音が消えたことを「幸せ」と呼び
消えてしまった音は「騒音」になる
世界から叫びが消えたことで
僕らは「無感覚」になる
叫んでいた人たちは、
まるで最初からいなかったよう

 

 

まぁ、御察しの通りです。( ̄_ ̄ i)

そして、“御察し”のアンテナが似てる方は、もしかしたら、同じような過去をお持ちなのかもしれません。


転校生はいじめられる。

そんなアホみたいなセオリーに乗っかりました。

転校生なのに、大人しくないからですって。 

自分らしく、の、真っ向からの否定ですよね。

 
給食のご飯には牛乳がかかってましたし、

誰かと話せば、仲良くした相手が責められる、という謎の現象が起きます。

日々ね。

そのころ、ワタクシお話書いてたのですけど

←まるで変わらない笑


それは、言葉で日記に残せない日々のことを、お話として毎日書き残していたものでした。


いわゆる吐け口ですよ。

←やっぱり変わらない笑 

 

それがね、ある日見つかっちゃったんですよね。
うっかりノートを学校に置いてしまって。
まぁ、その後はご想像の通りです。 
物語になりそうな、ドラマティックに壮絶なものではありませんでしたが。

そこそこな地獄ですよ。 

 

中学でも

昨日の友は明日の敵。と。

おかげで学びましたよ、たくさん。

本当に怖いものが何か。
(あ、ネタばれちゃう。扶美(LOVE)…の部分と)

 

 

本当に怖いのは、
直接嫌がらせしてくるような人でも、
少し離れて笑ってる人でもないんです。

 

ただそこだけ、光を浴びたかのような空間に住む人。

 

パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない、と
守られた空間から、笑顔で本気で言う人。

 

光の中はおそらく、眩しすぎて周りが見えないのでしょうね。

 

おかげで、ほとんど当時の記憶がありません。

誰からも必要とされなかった時間というのは、記憶すら作らないんですよ。

その他大勢になりたかったのに、

そこにすら入らない。
なにも、一番の人気者になりたいなんて、

大それたこと願ってないのに。

 

普通、ってものが、ただひたすら崩壊していく日々でした。

 

子供たち、心が無感覚にならないように
“静寂”に耳をすませて
誰かを救うことは自分を救うことと同じなんだって  

 

無感覚、とは、まさに感覚がそこに無いから、わからないんですよね。
痛みがある事も、なにも。
そこが静寂であるかどうかも、“わからない”んです。
だから、タスケテが落ちていても、その上を歩けるんですよ。

 

こないだの記事にも通じるんですが。
人と人。
そこには感覚があるはずなんです。

お互いの。

よく、いじめをなくすには想像力だ!とか言いますが。
想像するより、知る事だと思いますよ。
肌感で。
熱いも冷たいも痛いも。
楽しいも、嬉しいも、ごめんなさいも、悲しい、も。

その積み重ねを捨てたら、自分の都合に任せた、無感覚が生まれるんだと思います。
で、その場所を「平和な心地いい場所」と、勘違いしていくんですよね。

 

さおりちゃんがいじめられていた、とか

深瀬くんが、心を病んでいた、とか

セカオワを深く知らなくても割と有名なこういうエピソードは、意味の温度を上げますね。

 

本当はもう、知っているはずなんだ
“SOS”に答えることは
「自分は何の為に生きているんだろう?」
という疑問に答えることなんだ
SOSに答えることは
「自分自身を大切にするには?」
という疑問に答えることなんだ
「一人じゃなくなるには?」にも


こんな歌を歌うなんて
自分でも不思議なんだけど

自分が教えて貰ったことを

伝えられたら良いと思うんだ
誰かのために一生懸命になれる人が
教えてくれたことを

 

これね。

3月のライオン』の“ひなた”を思い出しました。
あんなまっすぐな子、いなかったなぁ…。あのころは。


私は私が学んできたことを、せめてわが子には伝えることができればなぁ、なんて思ってましたけど。
でも、それは私の得た「感覚」と、その感覚が作り出したものさし、なんですよ。
あくまで、私の尺度。

これから子どもたちが学んでいくものとは別物。

でも、裸一貫でさぁいけ!と送り出せるほど、私が強くはない。
やっぱ様々な武装を与えたくなるんですよね。ダメだと思いながらも。

だから、こんな風に一つの絵本のように、音楽があることが。
そこに乗せられた言葉を、私の尺度無しにいつか伝えることができるなら、それはありがたいことだなあと。

そばにいてくれてありがとう。
Now I’d like to thank you for 
staying by my side…

そんな一言を、言える人がたった一人でも、いるということ。
それだけでもう、きっと今そこにいる価値がある。


以上。
ヒトリゴト+とっちらでした☆(・・。)ゞ