ジャポニズムへの、ドキムネが抑えきれない昨今。
引っ張り出してきました。
『ニッポンの嵐』です。
全国の小中学校、高校に配られた寄贈図書が、ポケット版として一般販売されたやつ。
2011発行ですが、5人がそれぞれ日本各地に旅に出たのは、2010。
震災前です。
と、なるとですね。
ジャポニズム、ってものをここにきて持ってきたこと、が凄く凄く胸をあったかくします。
ちゃんと、続いてるんだね。想いってものが。
次はこれ、その次はこれ、と、作られた透明ケースのなかで、与えられるものをこなしてるわけじゃない。
アイドルっていうと、どうもそう思われがちなのかもしれないけど。その側面がないわけじゃないけど。
ただ、がんじがらめの人形じゃない。
いわゆる『五人の総意』を一本筋だてて持ってるんですよね。
この“ニッポン”ってことに関しては、ほんとにそう思います。
観光大使もあったしね。
24時間テレビの『ニッポンって‥』なんてテーマも、ひょっとしたら嵐側からの意見もあったのかもしれませんな。
そして。この『ニッポンの嵐』
私にはとてもとても、縁のある内容でした。
(縁のあった部分だけ、ちらほら話します。)
まず、智さんが行った弘前。
そして、奈良さんの作品とそれを中心にした人やモノ造りをたどる旅。
奈良さんといえばAtoZ。
このコラボ展覧会の、大阪のものに行きました。
泣きましたねー笑
そんで、掬い上げられてきました。
(別記事参照)
川沿いの雑居ビルにある、カフェにも。
それから青山の片隅にある、AtoZカフェにも。
(出張の度に上司に連れてけと、ねだる有様)
弘前には、いつか行きたいんですよね。
智さんがたどったように、人の生活とモノ造りが同じ高さにある街を、いつかゆっくり眺めたいです。
7代受け継ぎながら、同じ場所で名前を背負ってカフェを開く。
伝統を受け継ぎながら、新しい風もとりいれてく。
雪の街の、そんな強さ。
もしかしたら、智さん、そのうちここに住んでるんじゃなかろうか。
そして、相葉さんが訪れた奈良の『たんぽぽの家』。
私、実は奈良で育ちましてね。
たんぽぽの家、それから、わたぼうしの会という名を、割と身近に育ってました。
同じクラスの障がいをもっていた女の子が、わたぼうしの会を通じて、詩集を出したりしていましたので、なじみもある。
でも、私の知っているのはもう20年以上前の姿。
いま、こんな風にすすんでるんだと、相葉さんのおかげで知りました。
グッズ監修も、ひょっとしたらこのたんぽぽの家が、取り組む事業がきっかけなんだとしたら。
嬉しいなぁ、なんて思うのです。
続いて、翔さんの旅した農業。
なんと、こちらも奈良なんですよ。
お茶といえば静岡でしょうが、大和茶っていうのがあるんです。
奈良はわりと皆様、修学旅行で寺社仏閣においでくださいますが。
今実はひっそりと頑張ってるんです。
なかなか担い手がいずに、消えそうになっていた“結崎ネブカ”というネギなんかも、大和野菜としてゆっくり知られてきてます。
翔さんも、たくさん食べたご様子笑
奈良の名産だった蚊帳の生地を、布巾としてアレンジしたりもしてます。
結構全国の雑貨屋さんで、売られてますのでね。
よかったらお一つ笑
中川政七商店にて、お取り扱いされてます
→まわしものじゃぁ、ございやせん。
鹿がたくさんの奈良公園を少し外れれば、地元のアーティストや、若い世代が古い商店街を自分たちで改装した、小さな街並みもあるし。
今年のワクワクであった、高速餅つき!
あのお餅屋さんも、有名な奈良のお店です。
そして、奈良の懐かしい街並みが残る“ならまち”で、翔さんが過ごした後、語った言葉が胸にのこりました。
戦争を語り残すことだけが、財産ではない。
このまま、よかったね、で終わってはならない。
ジャーナリストとしての、視点。
その土地の、ほんの些細なことに思える事。
おじいちゃんや、おばぁちゃん。
親から教えられる、教科書にはない事。
それを受け継ぐってのもまた、財産なんですよね。
時代に応じて形を変えても、その知恵ってのは、みんなの暮らしを思いやって生まれたもの。
大事にしていかなくちゃ。
さて。
実は私
宮崎駿氏には、ものすごく間接的にお世話になりまして。
もちろん、プロデューサーの鈴木さんにも。
この方々が、スタジオジブリを続けてくださらなかったら、私は今、ありません(´Д` )→ちょっと大袈裟
なので、興味深かったのですが。
ほとんど駿さんが喋ってる笑
けどね、根本の人としてのジャンルがニノともよく似てる気がしたんです。
いや、うーん。
作品への言葉とかを見ていると、智さんのようにも思うところがあったから、ニノのような斜めの視線をもった智が、歳を重ねたら。
きっと駿さんのようになるのではないかな。
ニノが好きなのは『耳をすませば』
米林監督が、入社を決めたのも『耳をすませば』。
これ、もともとは少女漫画で私もよく読んでいました。
こんな青春をしたかった、がぜんぶ詰まってる。
って、ニノはいってましたが、女子的にはどうなんだろうな笑
地球屋のバロン、も、この作品のキーですよね。
その背景のイバラードの世界。
イバラードの旅、って絵本は私の本棚に鎮座してます。
今は、制作部門を解体してしまったジブリですが、いつかまた、作品を生み出していってほしいなと思います。
で。潤くん。
隠岐の島には、正直ご縁はないのです。
でも、潤くんの地元の若者と、何かをする‥というのが、すごく好きです。
1番近いところだと、宮城がありますが、
明日にかける旅の京野菜や、飛行機に青春かける高校生達との時間。
高校生、って私はなんとなく最後の時間。だと思っている節があるんです。
この先を、大学にいくのか、社会に出るのか。
どの道を行き、どう生きるのか。
そのための、準備期間。
その時間に注ぎ込むものって、やっぱり未完成ながらとても強いと思うのです。
未完の大器、まさに。
島の名産を知ってもらうための、プレゼン能力。
ここにいるよ、あるんだよ、を発信する力っていうのは、やっぱり潤くんにも凄く刺激になったのではないかな。
この本の冒頭に、こんなテキストがあります。
この地球の抱えてる問題は、もはやどこから手をつけていいか、わからないほど。
だからこそ、この国の事をもっと知らなきゃいけないんじゃないか。
本当のグローバリゼーションとは、自分自身の真ん中を見つめる事。
自分の真ん中へ真ん中へと、考えを深めていく事が世界への1番近道。
今自分がやるべき事は、
きっと日本人である自分自身に、きちんと誇りを持つ事。
震災の時、多くの人が思ったはずなんです。
自粛、といって動きを止める事ではなく、
自分のできる事を、目の前のことを、ひとつずつ。
そうやって進んでいくしかない、と。
この、一本筋のような想いは、ずっとメンバーの中にあるんですね。
どれだけ派生した枝葉が大きくとも、
時に折れてしまおうと、
飾られ、鑑賞されようと。
根っこには、ちゃんと呼吸して息づいてる根がある。
ついていこうと思える。
その強さは、一朝一夕ではない。
そして、そうやって続いてく筋の先に産まれるのが、今度のジャポニズム。
背景を感じれば感じるほどに、きっと耳に届く音も言葉も分厚くなりますね。
そこに“それ”があるのは、何にしても一朝一夕ではなくて。歩んだ人と時間がある。
それは『嵐』も同じことで。
とても意味のあることだなと思うのでした。
きっといつか、今よりそう思い知る日がくるのだろうな。