ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

とっちら あゆはぴ ドキュメント 髭と智。

 
 
└(:3」┌)┘))ジタバタ不足
 
 
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
↑目を覚ましました
 
 
あゆはぴゲット。
 
幸せは
ここにある。
 
わたくし、ライブは完全なるお留守番でございました。
やむなし。こればっかりはやむなし。
なので、あの時の感動!!カムバック!!
 
 
じゃ、ねぇ。( ˙-˙ )
 
ってことでですね?
 
あゆはぴフラゲって一番最初に、ドキュメンタリーの方を手に取りました、はい。
 
 
ん?とは、思ったのさ。最初にな。
 
すっぴん……でもない。
『documentary film』ってなってる。
デジタリアンのメイキング想像してたもんですからね。
 
わちゃわちゃが見れる(((o(*゚▽゚*)o)))とおもってたんですけども。
違いました。いや、違わないんだけども。
 
なんというか、今回のドキュメントは、
端的に言って。
 
嗚咽。
 
過去、何度か引用したことがある翔さんの『職業嵐、といって成り立つような』という言葉。
それをね、がっつり突きつけられた気がしました。
 
 
コンサートの舞台裏、ではなかった。
まさに、documentaryでした。
 
 
ちょっとここからネタバレながら、暑苦しいことを吐き倒しますんで。
これから、という方は下がらず。
 
 
 
 
 
 
 
あゆはぴを制作してく過程を、それぞれ見せてくれてるんですけども。
 
アルバムを聞いた時にも思ったのですが、
 

嵐というチームを動かすことを生業とした五人、なんだってこと。

個々が得てきたいろんなものを、毎日重ねていったから、出てくる表現も様々であって、その「様々」が嵐の車輪であるのだなぁと。

 

と、いう感想。

 

それがそのままでした。

まさに「様々」を見られる機会があったことに、震えてしまいましたよ。

 

嵐を動かす。

その一つとしてある、ライブ。

そこを中心に五人それぞれを見た時に、当たり前なんでしょうけど、『本気』なんですよね。

自分に本気、嵐に本気

 

もっというと、誠実でした。

それはおそらく、ファンに対しても。

 



 

 

 

 

さて。

 

ここからはひたすら吠えますが。

 

周知の通り、私髭智沼の住人でございます。

ラジオでもね?髭は不評だったし、もうやらないみたいな事を言っちゃってたからね?

 

役!役!こい!(ノ`-Д-)ノ、と思ってたところに無門来たからさ。

信じたよね?可能性。

したら、さらっと髭は無かった。

忍者で無かったら、あとなんだ!?

社長か?!髭の社長か?

社長やったわ!無かったわ!かっこよかったわ!零さん!虜やわ!すき!

 

と、隠れて泣いてたんですよ。

 

そんなところに、だ。

 

(髭の)神よ!貴方はおられたのか!

 

_(꒪ཀ꒪」∠)_
 
もうね、ほんとにね。
智×無精髭、ってね。なんなん?っすよ。
 
男くささ半端ない上に、ベビーフェイスとかどうなってんのか!!
 
これだけで、私しばらく生きていける。
 
 
(髭の)智さんのね、ばっぼーいのリハ(振り練ってる)があったんですがね。
後、その振り付けの話をしてるところと。
 
 
今回、特に降りてこなかった。
なっかなか。
苦しかった。ずーっと引っかかってたから。
(中略)
不安の方が強いんだよね
練習しないと だって不安でいっぱいだもん
そりゃ
 
……そうだね。
 

なんとかなる。

それしか言わないよ、もう

今までやってきた。
今までやってきた、ね?

この背中がね、華奢なのにね。
すごい、男でしたよ。
 
嵐への責任も覚悟も、自分の納得も背負った背中でした。
 
死神くんのときのcutで智さんが答えてるんすけども。
 

自由という言葉から連想するもの
 
練習
 
 
智さんにとって、嵐として何かを作り出していくことは、不安の連続なのかもしれない。
で、その不安の理由は「出来てない」ことに対するものかなぁと。
自分の納得するラインに、今持って行けてないという焦燥といいますか。
これって、こないだの「殴ってしまうより、殴られた方がいい。痛みはすぐ忘れるけど、あー!ってなってしまうから。」に近しいかもしれんなと。
一過性の痛みを食らうことなど、なんてこと無い。それよりも、1人で解決できない事や焦燥を抱え込む方が、どれほど苦しいかを知ってるのだなぁと。
 
だから尚更。
 
「このくらいで良い」ってのを許せるキャリアも技術もあるとおもうんですけども。
 そうはしないんだなってところにね、ほんともうひれ伏すんですけども。
更に上、更に挑戦。そのモチベーションを維持する、ということにまず。
 
 
練習、というのはただただ、上手になりましょうって話ではなくて。 
頭の中で見てる理想を得ましょう、ってことなのだろうなって。
 
理想を得て、また理想を見て、得て。得て。
 
それを繰り返してる人の背中が、頼りないわけないんですよね。


コンセプチュアルなデジタリアン、ジャポニズム、そしてあゆはぴ。
 
今回通して見た感覚では、その軌跡はしっかりありました。
コンセプトに縛られすぎないからこそ、積み重ねたものをラフに出せる。
その線を引きすぎない魅力ってのが、ものすごく見えたライブ。
 
その基礎は、
 
この智さんみたく、不安だといいながら
「今までやってきた。」
と、自分の中心に置いた自信が見せる強さだと思うんです。
 
嵐なめんなよ?
 
ってネタのように言ったりしますけどね。
 
いやほんと。
 
 
嵐なめんな?
 
で、ございました。
そんな人たちを好きでいる事が、もう誇りですよ。
 
 
 
 
 
さて。
まだまだ、Jの演出について語り倒したいところがあるんですが。
 
のちのちまたきます。
ジャポニズムのときくらいのウザさにはなりますからね?)

 
 
 
 
以上っ