ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

オリエント急行 三谷脚本の面白さと怖さ

オリエント急行、二夜とも見終わりました。

こういうミステリーものは大好きなもので、
シックスセンス」とかもそうですが、あちこち落っこちてる伏線の回収をしていくのが、
ホントにワクワクするんですよね。

一夜目はオーソドックスなミステリー。
くせの強い名探偵と、おとぼけ&切れ者の参謀。

アガサクリスティは、むかーしむかしに少し読んだことがあるけど、
登場人物がやらかすことが毎度突飛で。
今回のように、12人が一刺しして言ってるとか、
そして誰もいなくなった」とか、ほんとうに誰もいなくなるし。

三谷さんの「この背景がどうなってるんだろう」って考えてしまうの、
わかる気がするんです。

なので、特に二夜目をすごくすごく楽しみにしていました。

更には三谷×二宮和也

この組み合わせに、しかも脇役の一人なニノに、ものすごくワクワクしていたんです。

結果。やっぱり、ニノ…すごい。

登場人物たちのなかで、唯一といっていいほど喜怒哀楽を表現する役を、
ニノがやったってことは単純にうれしい。

登場人物の中で、
平太はわかりやすくデレて、
わかりやすくキレて、
わかりやすく調子に乗る。

これって、すごい怖い人ですよね。
そのままの本能で動いてる人。

多分、亡くなった剛力一家の身内のだれよりも、
あの場にいた登場人物の中でも、とりわけ「殺人犯」だったような気がする。
だから、刺すシーンでの平太が、誰よりも冷静で表情がないことに、ぞっとした。

そんな風な役を、ニノが表現したっていうのが、
すごい迫るもんがあった気がします。


三谷解釈。
私、好きです。
なるほどな、と。この二夜を見た後で、もう一度一夜を見たら、
尋問のときの演技が面白いだろうなと。

12人と聞いて思い出したのですけども。

12人の優しい日本人」っていう舞台、映画。
wiki  こちら参照

これ、三谷さんだったんですね。知らなかった…。
しかもご本人も出てるなんて。

学生の頃、先生に「これは一度見ておくべき映画」といわれてたんですよね。

12人の突然集められた人たちが、陪審員となって一つの事件を話し合う。
最初は事なかれ主義で全員「無罪」に挙手するのに、話し合ってく中でいろんな面が見えてく・・・って話だったのですけど・・・

なんか、改めて見てみたいなと思いました。

いまならもうちょっと、違う視点もあるかもしれないなぁ、なんて。
こんどTSUTAYAいこ。

さて。

私も相当な妄想壁なのですけども、
ふと、考えてしまいました。

二夜は、いわゆる・・・めでたし、めでたし…だったのだろうか。

私、なんか、ものすごい怖くなりました。

殺人事件を、“なかったこと”にしていくこと。
遺体もそこにあるというのに、「よかったよかった」と、まるで青春映画の一試合終えた後のような、安堵感とかさわやかさでも漂ってるその場。

現場を荒らさせて、唯一残るであろう「足跡がない」って状況を、
まさに踏みつぶした探偵に、なんなら小粋だね☆ぐらいの賞賛と、感謝さえ。

さて、急いで警察への(嘘の)報告書を書かねば(てへっ)
ってさ。

…すっげぇ、こわくない??それ。。(´д`lll)

みょーにぞわぞわしました。
怖い怖い。それってものすごく怖い。

そのとどめを刺すのが、最後の最後まで残った平太ですよ。
彼、完全に遠くの世界の住人になってますよね。
必殺仕事人とでもいうのか、この世の悪を自らの手で消してやるって、
諌められてますけど、これいつかスイッチ入ったらとんでもない事やらかすんじゃないかな。

デスノートの月ですよ。思考回路は。

けど、「あぁ、だからこの時代設定なのか」と。
科学捜査が常識な今なら通用しない話。
同じく名探偵でもコナンなら、こうはしないだろうなと思うのです。
(一度、犯人を死なせてしまったと、激しく後悔してるコナンが、
今回のような情状酌量的な立場はと習いと思うのですよ)

昭和初期のころだから、「状況」を無くせば証拠がない時代だから。
この「なっかったことに」が小粋な、ハッピーエンドで終われるのだな。

これがもし、殺された側に家族がいたとしたら。
レイアース的な悪者の事情…が表に出て、別の物語になるのだろう。
レイアースについて

で、それがあったとしたら。
この12人と探偵たちは、間違いなく“悪”なんですよね。

面白いな。
でも、怖いな。

で、きっとそういうところが、この「三谷版」の魅力なのだと思う。

さてー。もう一回じっくり見ようと思います。