ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

嵐は私の雨でした。(THE JOURNEYが届いた)

 

 

THE JOURNEYが届いた。

だから、ポエミーに独り言を吐こうと思う。

(ちょっと、センチメンタルに浸る)

 

THE JOURNEY。

巷では「聖書」なんて呼ばれてる通りに、分厚く嵐がつまっていた。

翔さんの綴った言葉達とともに、ひとつひとつめくるたびに、モノクロなのに色が見えて、なんなら匂いまで思い出してく。

けど、どうしてもそこは晴れやかな青空の下ではなく、ページが進むにつれコポコポと沈んでいく感覚があった。

まさに。

想い出の中を泳いでる。

深海だ。

 

 

2021年になって、嵐のいない日々が始まった。

メンバーの共演になんとか「嵐」を見て、話題にでる智さんの名前にホッとして、嵐が何も変わらないことになんとか安堵する。

そんな毎日が、1週間、半月、1ヶ月、3ヶ月‥と過ぎていき、気がつけばすっかりと景色は変わっていた。

 

雪も桜も過ぎた今となっては、それぞれはそれぞれの道をしっかり歩んでいて。

私がなんとか彼らに嵐を見ていた頃は、まだ「嵐」の中でいた(12月31日より以前の収録のもの)だったりするわけで。

 

3ヶ月経ったらば、当然「1人であるいてるそれぞれ」の姿だ。

時の流れは優しくて、そんな個々の道を見ながらそれを嬉しく思うのも本当で、これでよかったんだなと、妙にすとんと腹の中に落ちるものもあったりした。

 

そんな中。

もうすぐ半年経とうとする今、THE JOURNEYが届くというのは、わかってたとしてもあんまりにもぎゅーっと心を縛られてしまった。

 

装丁の美しさもあるけれど、紙を捲る音すら愛おしい。本当に、本当に久々に「嵐」に触れた気がした。

そして、今更ながら嵐は過去のもので、そこを辿ろうとすると想い出の中を泳ぐしか方法はないのだと改めて気がついた。

 

泳ぐ中に、大好きな智さんがいた。

FREE STYLE2020みたく、作品の前であぐら描いて座る姿。

真剣な眼差しの横顔。目尻が溶けそうな笑顔。スッと立つシルエット。

 

私の大好きなその姿は、嵐の中の智さんだった。思えば私は、嵐になった彼しか知らない。

泳いで見つける姿は全部、嵐である姿だ。

それが、なんだかとても。

信じられないような。

不思議な感覚だった。

現実にあった事だと思えないような。

本当にいたの?って、

 

まさに、夢のようだった。

 

うらはら。

ページをめぐる中、はらりと落ちた唯一の色に、とんでもなく感情が込み上げてしまった。

もう何年も何年も前のことのようで。

勝手に頭の中で、untitledのsong for youが浮かんだ。思い出をどんどん後ろに見たあの景色。

 

落ちた色を拾って、その日付に一度ぐっと堪えて。また最後のページに挟んで閉じた時、体に水が届いたような気がした。

 

沁みて、繋がっていくような。

 

こんなに思い出の中を泳いでいたのに、そこでやっと深呼吸した私は、やっと水分を得た。

 

嵐は、私の雨だったのだと思う。

しとしと降って潤って、時に体が浮きそうな程の暴風雨で。

私が歩くのに必要なものを育てる水が、嵐だったのだなと。

 

その中で智さんは道標で、その水をもって全てを包んでくれるような。

愛とは僕です、と言ったそのままで。

 

思い出の中を泳げば、私の中の智に会える。

「あなたたちの記憶が大野智そのものです」

その通りに。

 

新たに「嵐」に触れるのは、これが最後なんだろうかと、ぼんやりと思いつつ。

(円盤への期待がすこし遠のきつつ)

深海の底で、沈む時間があんまりにも心地よかったから、何かしら歩くのが辛くなったらTHE JOURNEYを開くだろうな。

いつもなら、いかに美しく保つかを考えるのだけれど。

こればっかりは、どれだけシワシワになろうとも、表紙に指紋がベトベトつこうとも、気にせずただただそばにいてもらおうと。

 

確かに。よりどころだ。

その点では、間違いなく聖書。

思い出を泳ぐための水脈。


いつでも会いに行く
何しているかなってまた空見て
とは言え 応えもなく もがいてる
また出てきた女々しさ
ただ照れ臭く ただ男の女々しさでした
Baby I love...
届いてる?
抜け出せず 思い出を未だ泳いでいる

 

愛(LOVE)のなかで、甘くも粗塩のように辛い海で泳ぐsugar and salt。

 

翔さんの言葉たちは、嵐とファンの子の真ん中にいるようでした。宮城のようでした。

 

嵐の音楽を愛してやってください、と涙浮かべて微笑んだJが脳裏に浮かぶ。

無邪気に愛した頃と、同じにはなれないけれど。この深海と地上の行き来が楽になる頃には多分、地上で嵐聴いてると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シーラカンスになっても、降りようがない。

そこは変わらん。