多分。
書いておいた方が、いつかやってくるだろう「ねじ切れそうな時」を救う気がして。
今はまだ、嵐があるから。
その中にいるから。
なんならこれでもかってくらいの愛、受けてるから。
書いとこうと思う。
まとまらないけど。
Voyage 22、23を見た。
This is 嵐にむかう‥ではなく、「2020年12月31日に向かう」とタイトルに、このドキュメントを作るスタッフの“理解”を感じた。
そうだよね、と。
ライブに向かってはいる。同異議で、それは最後の日に向かってるのだけど。
ライブだけじゃないよね。
22話冒頭
アラフェス翌日の翔さんが見たことない顔してた。愛おしそうな、泣き出しそうな。甘い甘い思い出に浸るような。
あんな翔さんはじめて見た。
それから。
翔さんと智さんが、ほぼほぼ同じことを違う言葉で話していたことにも驚いた。つまりはそれだけ、同感覚である今で。それが「21年で1番自然」な状態で受け取ってる関係性で。
確かに、と思う。
私はどうしても青い沼に本籍を置いているから、そこからの視点で休止を発表して‥半年ぐらいからの智さんがとてもフラットに思えてた。
そこからゆっくり、“大野智”が嵐の中に共存する世界を見ていってる気がしていて。
あぁ、この奇跡も決断がなければあり得なかったことなんだと、嬉しいような痛いような感情の振り幅が決められないような。
その最たる今を翔さんは「点」といい、智は「横並び」と言う。
なんとなく、なんとなく。
翔さんは内向きにガッツリ固まった嵐にいて、智さんは同じスピード、同方向に歩く嵐を見てる気がした。
前髪が下りた智さんは、愛おしかった。
話しながら首に手を持ってくのも。
「震えたんだよね」には、そうだよなと。
この21年。環境がガラリと変わることなどなかったのかも。
経験を積めば積むほどに、知ってる人も増えてくし。例えば私ベースまで下ろすなら、転職するとか、学校が変わるとか。
身の回りの環境が総入れ替えになるような事。
その瞬間。
智さんが何を思うのだろう、ってのはもう。
こちらに語られることではなくて、智さんだけのもので。
それが嬉しくて。やっぱり寂しい。
それから。
やっぱりどうしてか、気持ちが定まらなくて。凪というか無に近いような。
泣き叫びたいような、なんともないような。
自分の感情を理解できないのに、時だけは淡々と過ぎて。
ひとつ、ふたつ、コンテンツが終わる度に。
寂しいなぁ、切ないなぁ、なんて思う瞬間はあれど。やっぱりわからなくて。
このままなんにもわからないまま、ライブ迎えてしまっていいのかなぁと。
噛み締める事もできず、「過ぎて」しまうことに怯えてたりもして。
だから、23の
「感情がない‥無なんだよ。感情が動かないというか。だから、現実的じゃない。すごいフラットって感じ。」(要約)
で、あぁ同じなのかもなぁ‥と。
続いて、
「いいことだよね。いいことだといいことだと思う」
に、ホッとした。そうだよね、と。
今が1番自然でいられてる、という智さんを。そのパフォーマンスを。
明日観れるのならば。
構えず、作らず。
寂しいなら寂しいと。
泣くなら遠慮なく。
嬉しいも楽しいも、ただただ溢れてくるままに。そうやっていればいいんだなぁと。
やっと思えた。
それから。
智さんの中で、嵐は「終わる」。
そういう思いのもとなのだと、改めて思った。
それがどういうものかは、本人のみぞ知るだけど、ちょい休もうね?なテンションではなく、終わる、終えるものとして彼は今居るのだなと。
それでいいと思った。
そうでなければ意味がないとも。
もしも、また集まる未来があったにしても。
同じ形で同じことをするのでは意味がないと思うから。ならば、今の「嵐」は終わる。終える。
なんて思ったあとにさ。
嵐ジオ聴いて、花なんて歌っちゃったら。
未来を想像しちゃうじゃないのさ。
どうしたって、「花」は懐古の歌だ。
5人それぞれ別の地で、嵐を思う歌だ。
12/30にもらったサプライズがこの曲なら、いつかファンの子が思い出す嵐も、
優しい香りがしていた
風が小さな頬を撫でる
ふつうの毎日に 寄り添い過ごしていた
って事なのだろうなと。
何を願うか
何を祈るか
キワになって、こんな‥花とかvoyage とかたくさん受け取って。レコ大でど定番ソングメドレーに、こんな時になってやっと嵐がもつJPOPのパワー感じたりして。
何を願うか
どん、と渡される嵐からの想いを受け止めて。
何を言うのか。
そっか。徹子さんはお幸せに。と言ったけど。
いってらっしゃい
かも知れない。
おかえりという日があるとか無いとか、
それは今はいらない。
新しい世界へ、いってらっしゃい
で、やっぱ。ありがとう。
お幸せに。