嵐の曲たちの中で、特に好きなコレを挙げていくとしたら。
私の中では圧倒的にカップリングが多い。
勝手な解釈と思い込みでしかないが、カップリングは等身大の嵐の音楽である気がするから。
そこに、その時々の嵐のスタイルを感じるから。
どうしたってドラマタイトル曲だったり、スポーツテーマソングだったりして、なにかしらを背負うことが多いシングル曲の後ろでひっそりとしてるようで、実に攻めるし、実に遊ぶし、なにより嵐側が音楽シーンの尖ったところとファンの子とを上手いこと繋いでいた気がする。
嵐らしい、といわれる曲はやっぱりシングルに多いし、アルバム曲は「そのテーマのために」がある。(きっとそれが正解)
けど、ハッピーの塊のようなHappiness のメロディはどこか切ないし、ラブソぅに至っては恋が始まるキラメキを、私の大好きなきっと大丈夫はあの頃の嵐のテンションそのままでにやけて仕方ない。シングルだって、その時の姿を切り取るパワーはものすごい。
むしろ、そっちの方が世間一般とのすり合わせが完了してるんだから、「今の嵐」を写してると言えるのかも知らん。
でも。
カップリングの“自由度”には叶わない気がするんだよ。
夏疾風のゆず満載な爽やかさの裏で、Midsummer night's loverとかぶち込んでくる人達だ。軽やかな昼に濡れた視線絡める夜をあてちゃう人たちだ。
かと思えば、After the rainなんて軽やかなのくっつけちゃうんだから、そのセンスに鼻のあなふごふごさせちゃうくらい楽しんでいる。
特に、After 〜はどことなくwalk in the rainから繋がった今のような気さえする。
世間から取り残されて、雨の中傘もさせないで自分を信じるしかないと歌った2004。
それがafterでは、ものすごく痛いことも泣いたことも過ぎ去った上で、ちゃんと歩いてる。あなたが私の傘だと言って。
そんなもんだから、アラフェスの投票なんてひたすらに頭ひねるしかない。
どれ選んでもなかなかベストが決められない。
そんな中でだ。
full of loveだけは、いつ何時アンケート取られても必ず鎮座している。
単純に好きだから。
メロディも、多すぎない音数も、だんだん増していく感情が“親愛なる君へ”と繋がることも。
余韻少なに、妖精が飛び立ったみたいに終わるところも。
前に語ったりもしたけど、多分私は智さんに恋はしてない。
往々にして、思い当たる感情といえば、なにこれ、親か?ってのが大多数でもある。
それでも愛おしいし、愛しみたいし、幸せを願う。キュンともするし、カッコいいいいいぃぃぃ!すきぃい!たまらぁぁぁん!と吠え倒すこともあるが、「恋‥?」と言われたらしっくりこない。
(昔、リレーブログ的なものが回ってきた時に、智の双子の姉になりたいと答えたりしてたぐらいの拗らせ方)
だから、多分。
“親愛なる君へ”という言葉は、私の中であんまりにもしっくり来た。
2013年。カップリング曲からその年のアルバムコンセプトを妄想するのが恒例行事だった私の中で。
full of loveからLOVEに繋がったのは、ひどく痺れる展開でもあった。
音楽は、日記でもある。
中学生のとき、夢中で聞いた曲達がその頃の景色や感情を簡単に今でも連れてきてしまうみたいに、2013年からずーっと私の中で鎮座するfull of loveはあの時震えるほど思っていた感情をサラッと思い出させる。
奇しくも、24時間テレビ。今日の日はさようならの年だ。
どんどん痩せてく智さんがいたから尚のこと深くなかったのかもしれない。
初めて聞いた時、「これは、私が智さんに言いたいことそのままの曲だ」と。(重め)
夢の中 君を見た 触れたら 儚くて
月夜に… 会いにゆくから
そう。
智さんは儚かった。
あの頃。特に。
アラフェス2020。
パンフレットを読みながら、脳内再生は勝手にfull of loveを流してた。
2008年、ゲロ甘翔さんの「‥きいた?」を当然の如く受け取るキャップをちょこんと乗っけた智さんが見えてた。
シルバーのネックレスで、成瀬さんを纏いながら、片頬あげてる顔が見えた。
2013の曲なのになんでだか、成瀬期の智さんが見えた。
それが不思議なもので。
2013年のカップリング曲が連れてきた景色で、そこからタイムマシンのように今が来て、
Whenever you callに応えるならこの曲ではとさえ思う。
アラフェス2020でもしこの曲が、空に溶けるようなことがあったら。
あぁ、多分。
そんで、そのときはもしかしたらちょっと。
恋するのかも、しらん。
で。
2021年、この曲を聞いたら親愛なる智さんに、手紙書いてるような気持ちになるのだろうな。
親愛なる君へ
舟を漕ぎ出して 風になれ
今までの思い出、詰め込んで。