Face down Reborn が濃すぎる。
ブラッドポップ(マイケル・タッカー)によるプロデュースで‥
って辺りで沸けない知識レベルがゆえに、(やっぱ、楽しむには知識が不可欠)お?おおん。って程度の理解しかなく。
まぁ、face downが別のサウンドになるとか間違いなくワクワクするじゃぁん。
くらいのテンションだった。
けど。
なんだこれ、蓋開けたらとんでもなかった。
100万回くらい言ってるんだけど、私は大野智を推して生きてる。
彼の歌を内臓ねじれそうなくらいに欲してる。
己の欲や願いと、推しが幸せである世界の裏と表をギリギリしながら祈って祈って。それでもどうあがいても智が幸せである世界に敵う願いなどなく。
いつか彼がどこかの空の下で、陽気に過ごして不意に出た鼻歌が楽しそうならそれでいい。
階段降りながら、何気に踏んじゃったステップがあるならばそれで。
そんな自分にふふってなる日々が推しにあれ。
って祈りまくるくせに、だ。
それでもまだどこかで、己の願いと智の“楽しい”の交差するところが無いかと探してしまう。
Face down Reborn冒頭はそんな諦めの悪い願いを、キランと光らせながらスコーンとぶっ飛ばした。
やかましい。
今を見ろと、右頬叩かれた。
好きです!が簡単に爆ぜた。
なにこれもう。
最初の息継ぎで、智だ‥!ってなった鳥肌が伝わりますか?(誰に
さて。
ブラッドポップ殿を存じ上げてない。
でも、サビに行く音の抜け方とか、日本語歌詞にのっかるグルーヴ、全体的な構成はとても原曲へのリスペクトを感じた。
それぞれのソロリレーや、音数の少なさにも。
こりゃ、サマーフェスで聞くやつや。
野外や。騒ぐやつや。
躍り狂うやつや。
ところが、すっかり真逆な世界をリリックビデオが見せてきた。
face downに鍵とくりゃ、再放送もあっての鍵部屋リスペクトやぁん!って盛り上がったのも数秒。違うわ。いや、違わないだろうけどそれだけじゃない。
瞳を開けた中にいる、黒い人と5色の虹色の影。降ってくる鍵。無表情な黒い人。
光へと差し伸べられた手。
教えて 助けて って繰り返されながらどこ走ってるか謎な錯視に翻弄されて、見つけた扉の向こうには嵐(当時)がいてさ。
そこ通り抜けたら、背中にせおってる。
64×4 (256)分の時間と歴史と、人生。
目を閉じるそのなかに、虹色の人と黒い影。
虹色の影がうらやましくて、抱えたdarknessから逃げようとつかんだ手を経て、見つけたのは虹色の自分と黒い影。
陰も陽もその逡巡も。すべては己の瞳の中。
こんなエモい話ありますかね。
リリックビデオにこんなシルヴァスタインみたいな人生の答え乗っけてくるの、どんだけ強いん。
というか。
このリリックビデオで、なにをどう感じるか。ってのがもはや謎解きのような気がしてくる。あの動画そのものが、もはや裏表なのかもしれない。
なにせface down。
そう思わせといてーの‥って大どんでんあってもおかしくない。
私には。
青い人が飛び出してくのは、どうしたって智さんが得る時間のように思えた。
嵐な自分、64×4の4は他4人に思えたし、かけてでる256曲を背にしながらこちらに向かって走る彼の先が、虹色の自分が黒い影を認識してる世界なのだとしたら。
それが瞳の中(考えの中)にあるとしたら。
やっぱり私は、彼の幸せを願う方に転がる。
転がりながら、泣く、泣く。
なんでRebornなんだろう?
これほど数々の有名なプロデューサーに話を通せるのならばなおのこと。
なぜ、過去の音源を生まれ変わらせてくんだろう。
考えても知る由もなく、出ようのない答えが、ほんのり薫った気がした。
世界は、裏表なんだわ。
正解の裏に別の正解がある。