ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

braveにカップリングがないから思う。

 

 

BRAVEが出るなら、9月かなと思ってた。

 

だから、やっぱそっか。

と、予約も早々に済ませた。

 

が。

これは予想外だった。

 

カップリングがない。一曲勝負。

まじか。

 

嵐のファンやってるので、表題曲というのは何かしらを背負う事が多いのは、割と理解している。

ドラマ主題歌なのはもちろん、オリンピックも数々背負ってきた。

ベストアルバムで堂々と並ぶ曲たちを、特にファンでなくとも「この曲知ってる」とか、なんなら、「もはや思い出のアルバム」と言われても、そうでしょうなと納得するくらい。

 

タイアップは、むしろすごい。

かつて小室さんが一時代築いた時の手法に、とにかくタイアップさせてたってのは、周知の事実。CMから深夜番組からドラマから。

聞いたことあるぞ?ってとっかかりが、この音楽飽和時代にどれだけ大事かってのは、あの頃からの定番となったと思う。

 

推しが主演のドラマや映画の主題歌なんて、推すに決まってるし、そうでなくても楽曲としての素晴らしさもある。

 

的確にその世界を表す上に、嵐はそのどれもに染まらない。それがほんとすごい。

truth の世界作る人たちが、happinessやって違和感ない。むしろその両極にいてもなお、「嵐」って事がすごい。

 

その上で。

 

カップリングってのは、アルバム曲とはまた違う、嵐が嵐で音楽やるのに一番自由な場所だと思ってきた。

 

その時の流行りも押さえてるし、最近は世代的というか、嵐の年代的に青春期に聞いてきただろうニュアンスを含む曲がとても増えたようなきがする。それから。

これ言うと泣きそうになるんだけども。

いろんな形のあり方を試すにも、とても良い場所だったと思う。

それこそ、たくさん話していただろう期間にリリースされたものなんて。いろんなパターンの嵐をたくさん考えたのかもしれないと。

 

それだけ「今」の嵐が色濃く出る場所だった。

 

デジタリアンの前には、デジサウンドがやっぱ多かったし、ジャポニズムまではビッグバンド的、あゆはぴ前にはジャジーだったりピアノだったり色とりどりだったような気がする。

untitled前に至っては、今語るには感情がしんどいから分ける。

 

つまりは、次の一手をまずはやってみるって場所だったのだと。

一手の中のどこを突くか。

そのための材料がカップリングの中で昇華されていった気がしてる。

 

それが、ない。

braveには、カップリングがない。

 

つまりは、次の一手がない。

 

あぁ、そっか。

と、今更スーッと脳のどっかが冷えていった気がした。

 

untitledが、最後だったんだ。

 

今、嵐がやることは2020年まで「今までの嵐」をとにかくやり続ける事で。

それが一つも濁らないように、これまで築き上げた事をひとつひとつパッケージに包んで、収納していく作業なんだと。

 

翔さんは、宝箱にとじこめる、と言った。

 

そのための時間なんだ。

 

そっか。

 

と、呆然とした。

ワクワクが終わると言う時にも、ひとつひとつ片付けていくんだなと思ったけれど、あの時に一年生だった子が義務教育を終える期間と聞いて、別の納得を得てた。

そうか、これは決まっていた事で。

きっともともとあった期間が、たまたま今なのだと。

 

けど、新しく出るシングルにカップリングがないと言うのは、まっすぐグッサリささった。

そうか、今の嵐に「次の一手」はいらないんだわ、と。

 

そんふぉゆで、軌跡をふりかえり

ありがとうと歌う人たちが、ついてくる?とニヤリとほくそ笑んだ未完まで。

 

そこまでなんだろうな。

 

次、もしも休止を過ぎて嵐をやる時。

未完と自分たちを指した先にあるものの、新たな一手が見れるまで。

 

嵐は今までの嵐を、全うするんだと思う。

新たな姿よりも、今までをぎゅーっとぎゅーっと詰め込んでいくのだろうと思う。

 

今しか見れないかもしれない焦りを、どこに燃やせばいいかもわからない願いも、

きっとわかってるんだろうけど。

 

キラキラと宝箱にとじこめると言うのならば。

 

同じ作業をいま、私もやろうと思う。

同じ夢を見るために。