ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

ここから先は、別のお話。大野智の挨拶から。

 

もっとちゃんと、ゆっくり飲み込んで考えて。

そして書き残す方が良いのでは‥と思わないこともない。

 

だから、なんだかフワフワとしてる。 

Twitterで散々呟いたことを、ただまとめるだけの、そんなの!ただのオタクの戯言じゃないのさ!って笑う私もいるのだけれど。

 

そもそも、何をどれだけ考え込んだところで、結局はオタクの戯言でしかないのだよ。

 

じゃぁ。

これが、いま、NOW。

2021.1.1の想いだよと置いておいてもいいかと。

 

 

 

This is 嵐Live。

素晴らしかった。無観客なの逆手に取った巨大なステージ。本来、スタッフが忙しなく動き回るだろうステージ下まで、うまく使い切っていた。

嵐、すごいな‥。最後の最後に、オンラインライブの最高峰打ち出して、旅立ってくとか‥爪痕残しすぎでしょぅ?

 

さて。

そんな脳ある鷹が隠してた牙見事に跡を残したところで、智さんの最後の挨拶がネット記事にも上がってました。

 

私、智さんは泣かないだろうなと思ってたんですよ。多分、翔さんとの約束だと思ったらなんかのモードに切り替えてでも、涙は封印するだろうなと。(でも、それでも溢れちゃうのかなぁ‥なんて、ぼんやり思ったりもした。) 

 

ただ、印象として、

泣けるのは、明日があるから

ってのもある。

明日、また集まって「泣いちゃったよ」って話せるからで。続くからで。

だからその瞬間に、まだ続く道の途中に涙こぼしてまた歩ける。

歩く道がある。

 

「最後まで笑っていよう」を、守り通すことは、どこか義理を果たすような‥会見でも言ってたこの言葉は、智さんの中に相当大きく鎮座しただろうと思うから。

 

智さんの挨拶は、そんな背景もあったからなのか、とても美しくて、とても痛くて、やっぱり強かった。

 

4人への感謝として「人間性」を上げた根本にあるのが、「人はすぐ変わります」なのだと思うと、その瞬間に悟ってしまった。

 

智さんは、本当は全部全部“わかって”いたんだなぁと。

この際だからオブラートも捨てるけれども。

数々の報道においてのファンの反応も、

ファンの子達の中で起きる望むものの差も、

求める姿の違いも、

単純に彼のそばに居ただろう人への想いも、

知ることのなんかない、不都合がたくさん降りかかっていたのだろう。

 

そんな中で、ただただ信じられる人が4人だったのかもしれない。変わらないのは、多分、見た目とか性格とかだけじゃなくて。

お互いへ向ける信頼と尊敬なんだろうなって。

 

何かをしてくれるだけじゃなくて、嫌なことは絶対しないって言う信頼。

 

13年ごろ、人間不信な発言もあった。友達だと思って話したことが、表に出たりする、と。

たしかに、ファンレベルでさえ、大丈夫なの?な事もあったりした。

それすらも「人間ってそう言うものかもね」と言った彼は、その少し前には「もう、自分がいる事で誰かが喜ぶならそれでいいや」と言ってて。

嘘をつきたくない。って言ったのも、それくらいの保身、誰だって当たり前にやる事なのに‥!って。

どんどん何かを諦めていくようで、怖かった。

 

でも、そこにいる智さんは周りでどんなことが起きようとも無関心な様子で。

みんなが知ってるような流行りや話題も、興味なさげに笑っていて。

だからその瞬間瞬間でもつ「怖い」って想いも忘れて、智さんに甘えてしまってきた。

 

聞こえてない、知らないフリをしてくれてたんだな、と。

こんな最後の最後に彼からこぼされるまで、ちゃんとわかってなかったんだなと、ものすごくグサリと刺さった。

 

改めて考えりゃ、そりゃそうだよね。

あの人がさ、ファンの子の様子を気にしないわけないんだわ。

 

その一方で21年経って、「明日からは自分の事を考えて、自分の時間を大切に生きてみようかな」と、言ってくれたのが、嬉しかった。

 

ちゃんと全部“わかって”る彼が、人のためにと動き続けた彼が、自分のために生きるって選択をした事も。いろんなことを諦めてきただろう彼が、自分の幸せを諦めてしまわないでくれたことも。

こんな今更の最後に、よかった‥と。

 

それにね? 

 

嫌なことも嬉しいこともたくさんあったけど、同時にファンのみんなにもいろんな思いにさせてしまいました。

 

何よりファンの皆さん。

今日までついてきてくれて、

今日まで支えてくれて、

そして今日まで守ってくれて

本当に感謝しています

 

守ってくれて。そのワードが出るのが、大野智でした。ファンの子に、守られていると感じてくれることが。

 

同時にいろんな思いにさせてしまったのはこちらも同じ。

なのに、どこか彼の中で作品集しかりパグちゃんしかり、後悔の色があんまりにも色濃くて。

それこそ、いろんな意見があって当たり前なんだけども。

私としては、その後悔に待ったをかけたい。

 

 

 

 

 

彼が彼の幸せのために行動する事で、待ったをかける声にはもう十分耳を貸してきたと思う。

上毛新聞で、自分の思うようにやってもいい時期と話した先にあるのが今なら、それをこぼしてから十分な年月かけてきてる。

 

今日1日、どんな思いが彼を巡ったろうと、想像してみたりもするけれど。

それを語る場は、必要ないのかもしれない。

 

またいつか、人のために。

 

それがどんな形であっても

 

例え、同じ世界に戻ることなどないとしても、いつかの交点の先に

同じ形など存在しないだろうから。

ちゃんと美しく、ちゃんと全部わかって尚。幕を下ろしたのだから、盛大な拍手と感謝しかない

 

またねっ!ありがとぅ!(´・∀・`)

 

完全、映画のラストシーンだった。

 

つまり、

ここから先はまた、別のお話。

 

 

This is 嵐 壮大なお手紙

 

あけましておめでとうございます。

 

2021年、始まりました。

 

セトリをまとめてくださったツイを見たので。

じゅーぅんが歌詞に込めただろう思いと、演出から得た気持ちを。

歌詞で繋ぐとポエミーだけど、でも、主観のみでひたすらメモる。

リピート再生の際には、むしろそっちの方が泣くのかもしれないと思いつつ。

そしていつかちゃんと、ちゃんと。

挨拶の言葉も含めて、気持ちをまとめたい。

大丈夫、時間ならたくさんある。

 

 

 

出会えた仲間よ そのままでいい

涙の代わりに笑って

振り向くな 後ろには明日はないよ。

 

そう始まったLive‥言わずもがな、ワイハは会見の時の曲。完全に、これは手紙なんだとおもった。嵐からの。

ワイハ→サクラ咲けで、旅立ちからのその先への応援までしちゃう。

で、さらに。

智さんのことばで、紅白明けに再開したあとこそ、思いの凝縮だと思う。

 

 

 

 

いつでも呼んでよ。駆けつけるから。 

 

「じゃぁ、いってくる。さよならじゃないよね。また会えるから。」

 

真っ直ぐに目を見れずゆらゆら揺れてる

(泣いちゃうのもわかってる、でも)
それぞれの道に差す 光の波を超えてゆく

終わったはずの夢がまだ 僕らの背中に迫る

限られた愛と時間を両手に抱きしめる

せめて今日だけは消えないで

 

俺らの名前はなんだ?

「嵐ー!」

(名を呼んでくれたから、いつか) 

嵐巻き起こそう!

夢だけ持ったっていいでしょ?

 

12時を少しすぎる頃、残酷にも闇が来る

それでも(嵐の止まった未来へ)君を誘う

たとえ迷宮に迷い込んでも、きっとその手を強く引く

未来に続くパズルは、ちゃんとそのピースを1人ずつ持ってるから。

 

どんな言葉を使えば、

もっと心通じ合えたのかな

強がってるのも、その裏の涙も知ってる。

ありがとうと伝えたい。君へ。

離れてしまっても、思い出は未来にも満ちてる。

だから。

走り出そう。明日を迎えに行こう!

(大丈夫)また笑えるよ、ありがとう。

泣きながら生まれてきたんだから、きっと僕たちは強い。

 

まぶた閉じて浮かべた 

そこには(変わらず)

褪せない世界(があるよ)

生きていくことが繋がって未来になる

愛を歌うよ 

あなたの胸の奥で、今日も。

音楽は終わらない。

(安心して)次の景色へ。

 

こんな好きな人に出会う季節二度とない

信じることが全て

明けない夜はないよ

 

 

 

 

何で壮大な手紙なんだろうと思った。

名を呼ぶなと言ったuntitledから、ここに至るまで。「嵐」と言う名をさらに夢にしてしまった。 

どんな思いでいたとしても、取りこぼさないように。そばにいるよ、君の中で音楽は鳴ってるよ、それが僕らだよって。

それはもう。

ただ、愛だなぁと。

 

そして、この一貫した歌詞がやっぱり

untitledのジャンクションから始まってきたんだなぁと思う。

 

 

 

 

2021年 元旦

清々しい寒さとともに、台風一過の今朝はとても良い天気だ。

光の中に溶けた嵐は、温帯低気圧になったんだろう。

新しい門出の今日が、澄み切って美しいことをとても嬉しく思う。

冬の日差しは、窓を越えて部屋に入り込む。ほんのりしたその暖かさを、泣きそうに感じてる。

 

愛してるよ。

また会う日まで。

いってらっしゃい。

 

 

でもほら。

気をつけようね。

嵐は、世界中のどこでも巻き起こるからね。

 

あと1日。voyage見ながらばらばらに書き残す。

 

多分。

書いておいた方が、いつかやってくるだろう「ねじ切れそうな時」を救う気がして。

今はまだ、嵐があるから。

その中にいるから。

なんならこれでもかってくらいの愛、受けてるから。

書いとこうと思う。

まとまらないけど。

 

 

Voyage 22、23を見た。

This is 嵐にむかう‥ではなく、「2020年12月31日に向かう」とタイトルに、このドキュメントを作るスタッフの“理解”を感じた。

そうだよね、と。

ライブに向かってはいる。同異議で、それは最後の日に向かってるのだけど。

 

ライブだけじゃないよね。

 

 

22話冒頭

アラフェス翌日の翔さんが見たことない顔してた。愛おしそうな、泣き出しそうな。甘い甘い思い出に浸るような。

あんな翔さんはじめて見た。

 

それから。

翔さんと智さんが、ほぼほぼ同じことを違う言葉で話していたことにも驚いた。つまりはそれだけ、同感覚である今で。それが「21年で1番自然」な状態で受け取ってる関係性で。

確かに、と思う。

 

私はどうしても青い沼に本籍を置いているから、そこからの視点で休止を発表して‥半年ぐらいからの智さんがとてもフラットに思えてた。

そこからゆっくり、“大野智”が嵐の中に共存する世界を見ていってる気がしていて。

あぁ、この奇跡も決断がなければあり得なかったことなんだと、嬉しいような痛いような感情の振り幅が決められないような。

 

その最たる今を翔さんは「点」といい、智は「横並び」と言う。

なんとなく、なんとなく。

翔さんは内向きにガッツリ固まった嵐にいて、智さんは同じスピード、同方向に歩く嵐を見てる気がした。

 

前髪が下りた智さんは、愛おしかった。

話しながら首に手を持ってくのも。

「震えたんだよね」には、そうだよなと。

この21年。環境がガラリと変わることなどなかったのかも。

経験を積めば積むほどに、知ってる人も増えてくし。例えば私ベースまで下ろすなら、転職するとか、学校が変わるとか。

身の回りの環境が総入れ替えになるような事。

 

その瞬間。

智さんが何を思うのだろう、ってのはもう。

 

こちらに語られることではなくて、智さんだけのもので。

それが嬉しくて。やっぱり寂しい。

 

それから。

 

やっぱりどうしてか、気持ちが定まらなくて。凪というか無に近いような。

泣き叫びたいような、なんともないような。

自分の感情を理解できないのに、時だけは淡々と過ぎて。

ひとつ、ふたつ、コンテンツが終わる度に。

寂しいなぁ、切ないなぁ、なんて思う瞬間はあれど。やっぱりわからなくて。

 

このままなんにもわからないまま、ライブ迎えてしまっていいのかなぁと。

噛み締める事もできず、「過ぎて」しまうことに怯えてたりもして。

 

だから、23の

「感情がない‥無なんだよ。感情が動かないというか。だから、現実的じゃない。すごいフラットって感じ。」(要約)

 

で、あぁ同じなのかもなぁ‥と。

続いて、

「いいことだよね。いいことだといいことだと思う」

に、ホッとした。そうだよね、と。

 

今が1番自然でいられてる、という智さんを。そのパフォーマンスを。

明日観れるのならば。

 

構えず、作らず。

寂しいなら寂しいと。

泣くなら遠慮なく。

嬉しいも楽しいも、ただただ溢れてくるままに。そうやっていればいいんだなぁと。

やっと思えた。

 

それから。

智さんの中で、嵐は「終わる」。

そういう思いのもとなのだと、改めて思った。

 

それがどういうものかは、本人のみぞ知るだけど、ちょい休もうね?なテンションではなく、終わる、終えるものとして彼は今居るのだなと。

 

それでいいと思った。

そうでなければ意味がないとも。

 

もしも、また集まる未来があったにしても。

同じ形で同じことをするのでは意味がないと思うから。ならば、今の「嵐」は終わる。終える。

 

なんて思ったあとにさ。

嵐ジオ聴いて、花なんて歌っちゃったら。

未来を想像しちゃうじゃないのさ。

 

どうしたって、「花」は懐古の歌だ。

5人それぞれ別の地で、嵐を思う歌だ。

 

12/30にもらったサプライズがこの曲なら、いつかファンの子が思い出す嵐も、

優しい香りがしていた

風が小さな頬を撫でる
ふつうの毎日に 寄り添い過ごしていた

って事なのだろうなと。

 

何を願うか

何を祈るか

 

キワになって、こんな‥花とかvoyage とかたくさん受け取って。レコ大でど定番ソングメドレーに、こんな時になってやっと嵐がもつJPOPのパワー感じたりして。

 

何を願うか

 

どん、と渡される嵐からの想いを受け止めて。

 

何を言うのか。

 

 

そっか。徹子さんはお幸せに。と言ったけど。

 

いってらっしゃい

 

かも知れない。

 

おかえりという日があるとか無いとか、

それは今はいらない。

 

新しい世界へ、いってらっしゃい

 

で、やっぱ。ありがとう。

お幸せに。

 

 

何を準備しようか(カオスな心情)

 

 

私は何を準備すれば良いのだろ。

 

あと10日を切った。

 

カウントダウンも佳境。

なのに、ワタシはどんどん思考停止してきてしまった。

 

ずっと思ってた。

休止が発表された日から、2020.12.31って

一体どんな想いでいるんだろうって。

多分、怖くて寂しくて仕方なくて。

泣き出しそうなのを必死に堪えてるんだろうな‥

ひとつひとつの言葉を捕まえては縋って、そんなこと願うだけ悲しませるだろうってくらい、いなくならないでとギリギリと祈り続けて。

でもその反面幸せになってくれと、これまたギリギリと祈って。

その両方に耐えれるのだろうか。

 

なんて、思ったりしてたのだけど。

 

10日切った。

いよいよのカウントダウンが始まった。

ところがだ。

あれだけ怯え倒したのが嘘のように、凪の境地がやってきている。

確かに祈ってる。欲しいものもある。でもそれは極論なくてもいい。祈ってるって事がもはや私の中で意味をもってしまった。叶うかどうかより。

それに、あの頃の比じゃないほどに祈ってる。

幸せでいて欲しいと。その一点に尽きると。

ギリギリとじゃなく、ただただ祈ってる。

笑っててください、と。

 

そして、発表当時からしたら予想外の事がたくさんある。

 

スパッと別れのテープは切れ落ちると思っていた2021に、受け皿が残されている。

 

ファンクラブがある。

フリスタ大阪がある。

展覧会図録が届くのは5月だ。

 

2021年に、「嵐」も「大野智」も公にそこにいる。

2020が終わったら、嵐の名さえ見かけない。智さんの名前を呼ぶのすらNGなひっそりとした世界を想像してた。

 

だからかもしれない。

 

止まる気がしない。

この期に及んでまだ、夢の中にいる。

ふわふわとして、このままずーっと続く気さえしてしまってる。

 

わかる。

これ多分1番後が怖いやつだ。 

 

ふわふわの真綿が、夢がすこんと燃え尽きたら足元になんにもない。身ぐるみ禿げて、地面すらない。想像しただけて血の気が引く。

 

なのに、何を準備したらいいのかがわからない。準備といやぁ、Guts踊ることと、音楽は終わらないと歌う事ばかりだ。

驚くことに、簡単そうに見えてガッツ難しい。

 

フッとLiveの照明が消えた時。

やっと実感するのかな。

 

またね?って手を振ればいいのかな。

ありがとうって、叫び続ければ納得するのかな。

帰ってきてね、と今まで言わずにきた願いを言ってしまえば後悔しないのかな。

自分の納得と、彼らの納得と、その交差するところで閉じるのがベストなのかな。

それはどこだ。

 

イムリミットが迫るほど、考えが動かなくなってきた。

まるでここから後2年だねと言い出しそうなくらい、まだ先の事のようで、いやもう明日がその日なようで。

時間の感覚が失せてきてる気がしてる。

 

さぁ。

どうしようか。

 

何を準備すれば良いのだろう。

 

サクライ対談から、思う散文

 

 

私のミスチルシーラカンスから更新されていないから、単なる興味でしかなかったのだけれど。

zeroの桜井×櫻井対談は、あんまりにもハートをチクチク刺した。

 

ただでさえ、ぱんぱんの風船なのに。

いつでもどこでも破裂する用意なら万全なのに。あんまりにもそおっと優しく包まれる今だからフワフワと浮いてられる今に。

 

documentary filmはあんまりにも痛い。

 

誰の目にも触れない

ドキュメンタリーフィルムを
今日も独り回し続ける
君の笑顔を繋ぎながら
きっと隠しきれない僕の心を映すだろう
君が笑うと
愛おしくて 泣きそうな僕を

 

この歌詞に、智さんを、嵐を思わないでいられようか。

そりゃ刺さるよ。

特にこの2年智さんがわらって、しかも何にも纏わないような笑顔を見せてくれる度に、愛おしくてたまらなくて。

あと何度この笑顔に会えるだろうと、無意識に頭のどこかで数えていて。

 

あぁ、あれが最後だったんだ。

なんて後から気がつくことだけは二度と嫌だって想いが、一つ一つの事を必死に記憶しようとする。

その時の自分は、多分泣きそうに笑ってるんだろうな。

 

 

 

桜井さんが語る、死を意識して見えた景色とは、ベクトルはまるで違うと理解はしてるんだけど。

 

長年いる5人だからわかる、得難いもの素晴らしいもの

 

と言うのを聞くと、そんな姿を長年みてきたファンの子だから得た景色も必ずそれぞれにあって。

魂の救いを求めて仏像を掘った仏師の思いと、似てる気さえする程に。

 

 

翔さんはずっと戦って来たんだ。

外野の言葉はシカトして、Anti-Antiの精神は多分に残って来ていて。

嵐を武器にするための戦いから、嵐を持って戦って来たのちに、嵐を守る戦いに挑んでるんだろうなと。

 

だから、翔さんはいつだって「何のために」が1番にある気がする。

Voyage で言えば、ファンの子の思いもメンバーの思いも、周りのいろんな思いを思うと、自分の気持ちがわからないと言う。

あんまりにも感情渦巻く今だから、誰の視点で戦えばいいのか判断しかねるのかなぁ、って。

 

翔さんのブレない、はずっとずっと「嵐のため」に。だったんだろうなって。

 

真ん中を取って、着地点を探すのが役目だと自ら背負った人が嵐続けようよってこぼしたのもきっと。嵐が、しょさんの戦う意味だよなと。

 

桜井さんがね?お風呂で歌を歌う時!とはにかんで話す顔を見たらば。

いつか願った思いがまた湧き起こった。

 

 

何にも考えずに、聴いた音楽に体を揺らすような楽しみが、智さんにあれ、と祈るような。

 

もしかしたら、翔さんの戦いの意味はそんなところも守るものだったのかもしれないな。

 

8位くらいでいい。

そんな智さんのいつかの言葉は、翔さんを救うだろうか。

大きくなくていいから面白い事を。

智さんのいつか語った思いは、翔さんを守るといいな。

 

小型船に取り替えたとて、ブレない事を信念に持つ翔さんならば。

多分、何のために戦うか‥から、どう歩きたくて戦うかって切り替えていくんだと思う。

 

その先に、8位くらいの嵐が面白い事をやってる未来があればいいな。

それぞれが小型船のオーナーで、時折島で集合するような。

 

そんな未来。

 

 

よその沼が、NINO’s diaryを見た。

 

 

時間が解決した。ってことなのか、ただただ知らなかったってことなのか。

 

私は、ここしばらく‥多分それこそ数年。

ニノさんがわからなかった。

 

ずっとニノらしい!って思ってきたことも、あれほど書籍化を熱望してた一途も。

どこかのボーダーで、いつのまにかちゃんと話してもらえないっていうストレスにすり替わっていって、彼らしい言い回しを「ずるいなぁ。」と思っていた。

 

なんで、どうして。言葉に出来る人なのに、いつも表面を撫でるみたいな言い回しで終わらせちゃうんだろ、って。

 

追い討ちのように、5×20は11月札幌参戦だった私と友はその直前のニュースに唖然となってしまった。何故だ。初の遠征。もしかしたら最後かもしれない参戦(と、覚悟してた。実際、そうなっちゃった。)その直前に同行のにのあい担は感情の仕舞いどころを失っていた。

なんで、なんでと。

 

そんな想いが多分未だにずっとあったからだろうと思う。

Voyage NINO's diary 冒頭の

 

僕は二宮和也

 

このナレーションと映ったカットで、

あぁ、もう。ズルいわ。

‥と。

また、ちゃんと語らない。

このフィルム感ですでに一枚演出が入った。もう、オブラートの向こうだ。

語るべき事柄の上にふわっと布を載せて、ほら丸いでしょ?丸だって語らなくたって、見えてるよね?丸が。

そんな感じに終わるんだろうなって。

(ひどいな、わたし。)

 

智さんのダイアリーが、8割酔っ払ってやっとこぼした想いの吐露なのだとしたら。

それに安心してしまう私は、ニノの言語は難しすぎたのかもしれない。

 

だけど。

そんな気持ちで見ながら、ほぼほぼの時間を使って自分が作った曲の数々、撮った写真、上書きじゃなくて、時系列で残したデモに費やして。

それを流しながら語るニノは、見覚えがありすぎた。

同じような遊びを酒飲んでやっちゃう同世代だからだろうか。

自分が書いてきたモン読みながら酒飲んじゃうのは私も同じだからだろうか。(クオリティは問わない)

 

語るべき事柄の、伝えたいものは言葉にしてしまったらば完結してしまう。

それはあなたの中で、ではなくて自分の中で。

伝えねばならないのに、人に自分の回答を置いてしまう。

自分の得たものではなく。

あなたの回答を、と。

 

そんな感覚なんだろうな、と。

ほんの少し、わからん‥が解けていった気がした。

 

丸く見えるそのものの、真裏は三角かもしれないじゃないかと。

 

だから。

締めに

 

僕は嵐の二宮和也

 

このナレと、

 

ね?

 

の背景が真っ暗なのを見て、やっぱり。

ズルいなぁ、と思った。

 

二宮和也個人の話をしていくから冒頭で名乗ってるのに、「嵐の」二宮和也って締めてしまうのは、その点と点の置き方はやっぱりものすごいニノミヤカズナリだ。

個人からのフォーカスで、通っていったのはニノの視点から見た嵐で。僕の見た風景で。

その出口は「嵐の二宮和也」なのだから。

この演出にニノが関わってなかったら嘘だ。

それくらい。

 

自分の作ったものを通して、その目を通して、断片をあちこちにばら撒いて。

ほら、何が見える?

って言われたみたいだった。

 

バチくそにニノだった。

私がずっと、わかんない!なんで!とギリギリしてた二宮和也そのままだって言うのに。

 

なんでだろうね。

 

 

見えちゃったよ。

断片が降り積もってできあがった、形が。

 

あまのじゃくとか、ひねくれものとか。

そうじゃないね、多分。

超絶器用に言葉を操って、相手の一歩も二歩も先の答えを用意しちゃうこの人は多分。

 

とても、怖がりさんなんだ。

 

大好きだ、大事だ‥なんて、陳腐な言葉に聞こえるくらいに。

 

 

 

 

 

なんて

 

 

ね?

 

 

 

 

水紋だけ残して羽ばたく鳥かと思った。(This is 嵐聴いた)

This is 嵐 を聞いた。

 

おそらく、めんどくさいくらい言ってるのだけれど、私はその年にリリースされたシングルのカップリングから、その年のアルバムの雰囲気を想像してひとりニマニマすることを、恒例行事にしていた。

リード曲が出れば「ほほーーぅ!!」とそこからさらに、ならばこうか?いや、こっち来るか??って、うふふ♡うふふしてたのだ。

 

で。

アルバムが手元に来たら。

歌詞カードは見ずに、最初の一音から最後の曲の音が消えるまで、ノンストップで走り抜ける。

この時間の至福さったら。

過去、いろんな小説家が「この上ない至福」をいろんな表現で言葉を尽くしてきたけれど。いつもぴったりくるものに出会えてないのは、それだけ毎度受け取るものが違ったのだろうとおもう。

 

そんなテンションなものだから、今回もうタイトルだけで鼻息は荒かった。シングル以外の収録曲のタイトルすら明かされないことにも。

この時期に、この今に「This is 嵐」と銘打ったアルバムが出るってんだぞ!?

 

「未完」ばりの強烈なメッセージを含むのか、いわゆる“次の一手”を香らせるものなのかと。

 

で、いよいよ宝箱をあけて。

先述の通り一通りの至福な時を終えて思ったのは、

なんだこのスッキリしたアルバム‥でした。

 

混沌が1ミリもない。

渦が一切ない。

すんっと澄み切った湖の辺りでキャンプファイアーしてんのかと思った。

完全なるパーリーナイトだ。

 

しかもシングルの収まりが良すぎる。

SHOW TIMEからのturning upがもうスコン!シンデレラフィットだし、そのあとクリスマスまで待てないっていうのよ?なにそれ。幸せがふわふわしてるじゃん。

綿雪みたいに降り積もるじゃん‥。

ってウキウキしたらwhenever you call がその雪と夜景背負いだす。

離れていてもそばにと甘くささやくあとに、いつか秒針の合う頃で、低音響かせてく。

 

これまで、例えば割と尖った曲があったとして、冒頭はゴリゴリきても、その曲の出口はいつも飲み込みやすくしてあった。最終的には嵐のキャッチーさがまとめあげてた。

もうオブラートなんてない。嵐初めましてなひとにもとっつきやすいよ!なキャッチ―さは少しばかりお布団の中にいた。寝てた。

嵐、知ってるでしょ?ってくらいの余裕かましてあった。

 

多分、IN THE SUMMER やwhenever you call のような曲があったことがあるのかもしれないけども。 

そう思うとDo you‥?がリード曲なのは、あんまりにも素晴らしくないですか。

ニノもライナーノーツで言ってたけど、これは嵐だから歌える曲だし、背負える世界だと本当に思う。

ファンキーで派手に鳴るなかで、ちょっとお茶目に盛り上がれるって、ジャニーズの縮図のようだし、嵐の存在そのもののような曲だった。しかもそのパーリーのなかでほんのり香るアンニュイさとか、げだるげな色気。それができる唯一無二。

 

 

 

あんまりにも流れが良すぎて、アルバム聴き終わったあとに、ふっときらめきが空に上がってく感覚だった。

 

Are you Happy?は高揚感がふわふわと残ってた。

untitledはぐわんぐわんと頭の中でまわって、想いがまとわりついた。

 

そんな後のオリジナルアルバムが、まさに立つ鳥跡を濁さずで、ぽんっと水紋だけが見えてしまった。

なのにこれまで歩いてきた足跡が、確実にその後ろにあるって事も、わかってしまうから。

 

Japonismがなければ、あゆはぴに振れなかったと思う。あゆはぴがなければ、今のコーラスワークも生まれなかったのではないかと思う。

 

だから、

 

This is 嵐は確実に「これぞ、嵐」だった。

 

これがいまの嵐なんだ。

どの曲も、最初から最後まで「嵐」だった。ARASHIだったり嵐だったりするカラーや役割はあれど、不思議なものでずっと見えるのは5人分の背中でした。

 

アルバムが出る都度に、嵐から繋いでいくよ、連れて行くよ、音楽は終わらないよ

そう届けてもらってきたけれど。

このアルバムでThe music never endsが占める役割は、幸福だった。

song for youで軌跡を歌う先の、「未完」で問いかけた先の、何があるかわからなかった混沌が晴れて歌い上げる、最高なる幸福。

 

 

untitledで白く塗りつぶしたキャンパスの上に、きっと少しだけ、消す前より個々の色を濃いめに持った鳥達が描かれたのだと思う。

それぞれ飛び立つ前に、一声ずつ鳴いていったようだった。

飛んで行っちゃったら、またキャンパスは白くなるのかもしれないけど、でも。

 

This is 嵐(どーん)

 

と8角形なスタンプがガッツリ押されているから、この先は幸福で満ちてる。

安心していいよ。

嵐が全方位に幸福向けてるんだから。

 

好きな想いは、終わらない。