ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

大野丸 withイモト 智の甘ったるさになく、なく。

 

 

唐突に書きなぐりますよ。

暗いですよ。えぇ。

 

 

最近のレギュラー見てて、

 

あぁ智が智だ。

 

って思うことが多々ある。

 

どんな時か?

と言われたら、共に同じ番組を見ながら「ここ!」「それからここ!」と説明するしかないし、

どうしてそう思うのか?

と問われたら、肌感としか答えようがない。

 

それくらい曖昧なボーダー。

けど確かにあるんだよ。

今、大野智は智なんだよ。

伝わる?伝われください(´;ω;`)

 

そんでね。

そういう智を見てると……

あの人、ほんっっっっっと嘘つけないんだなって。

 

 

 

イモトアヤコとの大野丸が、あんまりにも甘ったるかった。

声を張らない智の柔らかさと、ラジオ聞いてんのかなってくらいの「んふふっ」って笑い声を久々聞いた気がする。

猫背でポテポテあるくのも、そのくせ「アヤコ」呼びして、頑張らなくていいなんて言っちゃうのも。そんで船乗るときには手を貸しちゃうのも。(多分、無意識のもとだと思うけれどパブリックとは真反対にロジカルシンキングな人だと思うから、‘ わかった上で’の行動や言葉だったりするとも考えられるなぁって思うと胸熱)

 

そういうとこやぞ!

って好きが渦巻くわ。嗚咽やわ。

 

桶のせできちゃったアヤコに、小声でツッコミ入れてるのも。

自分で熟年夫婦みたいなんて言うのも

 

そういうとこなんだよな‥

って惚れ直す

 

非常に喜ばしい。

 

智が智でいる。

なんて素敵なことかと。

 

けど、忍びの国の地上波を経て、智の芝居のとんでもなさを改めて実感して。

まるで、2017.7.1の初見の時の様に、ずっと忍びのこと考えてて。

無門を想ったり、どこでどう噛み合えば救われたのだろうかなんて考えてしまったり。

死が呼び起こす無門の感情ってものを考えたり。

そんな無門沼に改めて落とされるくらいの衝撃を受けて、あぁー見たいなぁ。智のお芝居を、また見たい。

って、切実に願ってみたりして。

 

そうしたら、その両極にあるだろう今の智を見て泣きそうになる。

 

やっと今、あんな顔できるようになったんだよな。決断が、荷を下ろしたのだろうな。

って脳味噌のどっかで思えば思うほど。

多分、嵐以外のことはやらないだろうなと。

この2年弱、嵐だけに尽くすつもりでいるのだろうなと(憶測)

 

キチンと自分個人の仕事を整理してから話をメンバーに持ってった智を思うと、これから個人仕事を新たに入れるつもりないのだろうし、おそらく彼自身がけじめをつけたいのだろうとも思う(憶測)

 

ほしいなと願う、彼の姿は

望むことすら負担なのだろうかと、あんな笑顔見たら、あんな声をきいたら、思わざるを得なくて。

 

それでも、求めることを諦めてしまうのだけは、できなくて。(だって求めがないなら留まる意味を見出さないだろうし)  

 

そして僕は途方にくれるわ。

 

けどな。

 

智が幸せなのと、辛いのとどっちがいい?

 

って二択迫られたら、答えなんか明らかで。

立ち尽くすしかできないんだわ。

 

願わくば。

彼の毎日が、光あふれていますように。

痛いことも苦しいことも絶対忘れない人だと思うからこそ、人の想いも自分の体の中に取り込んでしまう人だと思うからこそ。

 

智が智でいますように。

 

 

ただ、ここにあなたの表現を求めてる想いがあるよーいや!そんなしんどいときには無理して欲しくないん。気持ちがそっちに向いて、よっしゃ!って取り組んでみようかなと思う時が来るといいなーって、願うのもおるでよ?

おるんだよ。

 

って、立ち尽くすから。

 

いつかその棒立ちの想いが引っこ抜かれたらいいなと思う

智の意思で、智の手で。

 

 

さて。

イモトと智の大野丸リピろう。

甘ったるいミルク多めのカフェオレみたいな、智を見よう。(ありがとう。イモト。)