やっと帰宅。
やっと『坊ちゃん』見ました。
日本文学、と言うものを特に意識して振り分けたことはないんです。
と、いうのも。
本を選ぶときに、作者が生きてるか死んでるかとか、いつの時代かと考えては選んでおらず、まぁ、帯や裏表紙の簡単な説明を読んで手に取るくらいで。
なので、『坊ちゃん』を見ながら、あれ?これ読んだことあったっけ?
なんかあらすじ知っとるな。
という、ざっくばらんな印象でした。
けど。
ドラマの最後の最後。
だから、清の墓は小日向の養源寺にある。
この一文に、ピクン、となりました。
ある。
読んだことある。
で、この一文がとんでもなくて、しばらく本から目が離れなかったんだよ。確か。
親よりも自分を認めて、ただただ愛して。
自己肯定を高め続けてくれた、清。
その清と坊ちゃんとの間にあるものは、親子とも違う、なんというか、戦友のようなものだったのかな。
清の今際の際のお願い。
それに対して坊ちゃんがどう思った、とかは書いてない。
凄い、素敵だと思いますよね。
清はこう願った。
だから、清の墓は小日向の養源寺にある。
清の願いを拒否するつもりなど、一ミリもない。一旦考えよう、とかそんな事もなく。
ただ当たり前に。
ほんと、良い御気性です。坊ちゃん。
青空と寺と、そこの墓に参る猫背が見えましたもの。ちょっと乱暴に、花を活ける横顔が。
それだけのことを想像させる余白。
クラシックも、悪くない。
や、違うか。
夏目漱石、あっぱれなのかも。
それに。
坊ちゃん、は勧善懲悪とか学園ものの基礎とか、いろいろ言われますけども。
夏目漱石の自叙伝では、とか。
音楽と同じで、小説もクラシックになると数々書評やエピソードが付いてくるもので、そういうのも含めて、魅力なのだと思うのですが。
まつわるものを考えると、∑(゚Д゚)となりますよね。
だから、清の墓は小日向の養源寺にある。
この一文を井上ひさし氏は、日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続と言っていて、それが有名になった‥とも言われているそうで。 けど、いくら有名な方が褒めたクラシックだからといっても、琴線に触れなきゃ納得はされないわけで。
(吉本ばななのキッチン、の冒頭がどれだけエロいかを説明しても、誰にも理解されない私とは違うとこですよ←くらべんなや。)
その点では、この一文は井上ひさし氏の評価を大多数が、納得したのだと思う。
それにしても奇縁ですな。
井上さんが、呼んでたのかもな。
ニノを。
しかし、ニノの坊ちゃん。
これはかなりのハマリ役ではないのかな?
フリーター、流星の絆、とか割と“苦悩する若者”的なのが多いニノの役所。
その新たな境地と言うか。
葛藤して悩みまくる若者、かーらーの、スカッと言いたいこと我慢しない無鉄砲、っていうまるで真逆な役がハマるニノの幅の広さ。
けど、土台にあるのはやっぱ『芯と愛のある男』なんだよね。そこがニノ自身をオーバーラップさせてしまうのかも。
だから、いつもニノの演技が『っていう生き方を選んだニノ』に思えるんだろな。
山嵐の机から、『やっぱり奢ってもらいます』って、小銭持ってくとこの表情。好きだな。
坊ちゃん。
うちのお子も夢中でした
やはり、わかりやすい勧善懲悪。
学園ものの基礎。
それはいつの時代も、需要があるもんなんだな。
以上っ(°∀°)b