ちらかりほうだい。中身はない。

とっ散らかりながら、すきなものはすきとエモる場所(稀におかん)

追記 あれから4年経って考える、voyage #16 責任だから の話

 

 

今更何を急に、と思うだろうが。

 

今日私は、すいも甘いも哀も楽もごちゃ混ぜに、嵐を見る日としましたので。

以前、“また別の話”としてた件について考えを置いておこうと思う。

ただ、ほぼそりゃそうだろって話なんだけど。

 

 

すでに4年が経つ。時は遡る嵐の休止前。

Voyageにて、「Ohno's diary」があった。

その中の「ずっと嵐のことしか祈ってないの、俺」(´・∀・`)について、ひたすらに語ったことがあるが、もう一つ書き残していたことがある。

 

「責任だから」(´・∀・`)

 

だ。

 

やっぱり酔っ払って、ちゃぶ台囲みながら彼はいう。

 

グループを組んでくれた以上は、そこに無責任に1人でパッと辞めるわけには行かんのよ

だから、そこの“責任”何だと思うんだよ

4人背負ってる責任と。

 

シークエンスはやともに、“1番嵐愛が強い”と言われた人だ。

愛と呼ぶと甘いし愛おしいけれど、それを責任と呼ぶ彼は、

「ずっと嵐のことしか祈ってないの、俺」

と、いうくらいだもん。

そんな自覚はなくとも、ずっとまとわりついていたのかもしれない。

 

相葉さんが、リーダー大野智について語った言葉に対してもそうだ。

 

ただ単にメンバー4人が幸せになってくれればいいだけの話だからね

 

中略

 

俺はそんくらい想ってんだよ、メンバーに対して

だからいけんじゃんって思うかも知んない

でもそれは“責任”だから

ちょっとやっぱ相葉ちゃんに嬉しいのは、“リーダー”だからなんだよ

 

ずっとなんだか心に残るこのシーン。

 

この時の言葉を、アルコールを抜いて推察するに、

 

もう、ここまできたらメンバー4人が幸せでいてくれればそれでいい。

嵐を20年祈りつづけた。同等にメンバーのことを想ってる。

それならば、まだまだ嵐を続けれるだろうと思うでしょ?

でもそれは自分が背負った「護る責任」があったから。

相葉ちゃんの言葉が嬉しいのは、

「4人を背負うリーダー」としての自分が、理解されたことで、報われたから 

 

ということだと。

 

智さんが、自分だけ脱退することを押し通さず、「嵐を畳む」ことに着地したのもここなんだろうなぁと思うの。

死ぬまでの宝というほどの嵐は、5方向の思い思われの塊だったんだろうな。

 

智さんが思う分、智さんも思われてる。

それを実感すればするほど、護らねばという責任は大きくなったのかもしれない。

もしかしたらそこに、ファンの子の思いもあるかもしれない。

まじ大切にしなきゃいけない人たち(´・∀・`)

と、言ってくれたことを信じるならば。

この世に1人しかいない「嵐リーダー」の「大野智」が護ろうとしたものはどれだけの範囲と重さだったのだろうかと、想像で震えてくる。

1番自分のことを後回しにしてきて、その“自分”

を保つひとつが絵だったりしたのだろうと。

だったら、あのとき起きた“絵への否定”はどれだけ彼を傷つけたろうな(脱線)

 

 

This is 嵐最後の挨拶に、「僕は明日から自分のことをちょっと考えて、自分の時間を大切に生きてみようと思ってます」と言ってからいま。

100%ではないかもしれないけれど、その“責任”

を肩から下ろした智さんは、どれだけ自分ベースに持っていけたのだろう。

 

自分が楽になりたいから、だけならばそれこそ“無責任”に、1人脱退して4人に分散して抱えて貰えば良かった。

だって、ちゃんとその“責任”も等分で持ってくれてる人たちだと智さんだって知ってるはずだ。

けど、4人の幸せも祈ったから畳むことに着地したのだろうと思うと、私はそれは大正解な大決断だったと思う。命懸け、というほどの。

 

メンバーが家庭を持ち、それぞれのペースでさまざまな仕事ができて、歩く道をチョイスする自由がある。

「それぞれの道を歩んでも良いのではないか」とあの時いったとおりに、4年経った今進んでるんだと傍目にはみえてるんだ。

 

 

だからこそ、思う。

 

例えば5人で集まるとなったら、そこにいるのは「嵐のリーダー大野智」なんだろうか、

なんて。

 

勝手な願いだけど、戦友5人がただ飲んでるってだけであれ、と。

にのみがいつか言った、“意識的に避けてるワード”が宙に浮いたり、それぞの手駒として握られているのだとしても。

5人いる時は、ただの仲間であれよと祈ってしまったりする。

 

20年。

ファンの子は、祈っていたと思う。

有象無象な時もあるけれど、きっと多くは。

幸せであれ、と5人分祈ってきたと思う。

 

彼が抱え続けた責任の切れ端だけでも、我らが背負えていただろうか。

背負えなかったにしても、あまりに重いそれを支える力の一つにはなれていただろうか。

 

最後のライブの最後の挨拶

なによりもファンのみなさん、

今日までついてきてくれて、

今日まで支えてくれて、

そして今日まで護ってくれて、

本当に感謝してます。本当にありがとう

 

智がファンの子に、「護ってくれて」と言ってくれるなら、ちょっとは我らも自惚れていいかもしれない。

あのとてつもねぇものを抱えた、嵐のリーダー大野智の力の一つでいたんだ。

って。

 

という、

寂しがるのかとおもったら、

とうとう自惚れ出したオタクの、4年経った日記。

 

おれら、大野智の風なんや。

 

 

追記

2024.4.10  午前5:05 

嵐5人の会社設立が発表されました。

すたーととは、どこまでの契約かわからないけれど、嵐のことは嵐がジャッジする世界線が生まれた。

ならば、散々書き殴り、せめて我らは支える風であれと祈ったこの話も少し変わってくる。

智が抱えできただろう、これまでの「責任」は消えないし、この先もあるものだけども。

もちろん、これまでだって5人で背負ってきたのだけど。

かつて智さんがいった、“大きくなくていいから面白いこと”が、やりやすくなるのかもしれない。

責任が権利と手を繋いで、5人横並びになるのなら

我らはより、風をおくるのみ

 

 

あれから丸3年迎えるオタクの日記

 

早いもので、この年末で丸3年がすぎる。

あっという間に過ぎた気もする。

けれど、ちょっとぼんやりと過ぎた気もする。

 

勝手な期待をしていたオタクは、2024年と言うものに少しばかり夢を見ていた。 

マスコミの憶測や、そういう“雰囲気”があるのはそうだが、それ以前にどうしたって周年の節目や、縁起の良い日を選びがちなジャニーズ(あえてこう呼ぶ)の流れで生きてきたので、やむなしでもある。

 

やむなしに夢を見ているのではなく、

夢を見てしまうことはやむなしなので。

 

このおおよそ1年。

私はただ見ているしかできなかった。

 

ネット上で渦巻く、あれやこれやの反論や言葉も一体どこまで届いたのかも見えず。

ただ、大事なものが蟻の穴から崩れ落ちていくのをみるしかなかった。

 

名を奪われ、家が壊れ、それを当然とする空気に酸素まで消え、どうかどうかと祈るしかできずに時間が過ぎて、今現状オタクである私はオタクで行く先を見失っていた。

 

どうしても受け入れられない新たな姿は、そこに託すべきかの判断もできず。

たかだかまた1年続けますよ!って事すらも、すんなりとできないままで期限を間近にしてしまい、こんなめんどくさいオタクだったのかと己に呆れる自分もいて。

 

正直、楽しい1年ではなかった。

 

でも中にいる人たちは、人生の岐路な訳で。

そう思うと、無力だなと思ったり。

 

この渦中におやすみであることを、ちょっと良かったとも思ったり。

 

話は変わるが、私はただいま断捨離中でもある。なんとなく溜まってしまったものを、ちょっとずつ売ったり処分したりしていて、我が家に恐ろしいほどあるCD類も処分しようと思い立った。

多分1000枚以上はある。

8インチの頃からだから相当数。

なのにコンポがすでに無い。

重い腰を上げて選別をやり始め、1990年代の音楽達に懐かしく思いながら、嵐のCD達にも手をかけた。

もう、いっか。

って、思ってしまった。

コンポもないし、盤が無くてもサブスクで聴ける。困らない。

って、手放す理由ばかりかき集めて選別しはじめたら、頭ん中にずっと浮かんだ言葉があった。

 

またね(´・∀・`)

嵐の音楽を愛してやってくださいノ`∀´ル

 

な、もので。

久々ゆっくり、お気に入りのプレイリストかけたりしたら、その時の記憶がふわふわと蘇ってきた。

 

かき集めて読んだTwitterのライブのエピとか、セトリに一喜一憂したり、ライブDVDのフラゲ日にドキドキしながら再生押したお留守番組の気持ちとか、奇跡のようにオタ仲間集まったライブ参戦とか。

“プロフィールの背景に映り込んでるの、もしかしてやり過ぎちゃったカレンダー?”って、連絡くれた昔の同級生と、札幌遠征することになるとは思ってもなかったし。

楽しかったなー。なんか、やっぱり、楽しくてたまらんかったな。

 

って、手が止まった。

でも、一通り叶えたかったことが叶ったかもしれん、とも。

 

オタ仲間4人。参戦できた。しかもuntitledだ。これは意味があったんだわ、とか思えた。

遠征もできた。ちゃんとThis is 嵐で見送った。

充分だった。なんなら年明けて個展にまで行けた。納得したじゃないか。

 

 

いや、まて。

叶えてない夢がある。

 

覚えているかい、オタ仲間よ。

あの頃の同志よ。

 

大野智のディナーショーにいく。

みんなで行く。

 

あの夢を、やっぱ捨てられないんや。

 

ソロコンでパントマイムかます人だ

舞台を観に来れなかったファンの子が多いからと、舞台の一部をやっちゃう人だ。

翔さんと曲作ったかと思ったら、おふざけを最高愛しさレベルに持っていっちゃう人だ。

 

奈良さんも言ってた。

この絵を独学でやってきた人なら、描かない時があっても書き続ける人だって。

 

だから、何かがどうまとまっても転んでも、

周年の夢も、ディナーショーの夢も、ただのオタクの夢話としてその辺に浮いてるだけかもしれない。

 

けど。

覚えてるよね、仲間たちよ。

あの頃より少し時が流れちゃった同志たちよ。

諦めが悪いのも、悪くないよね。

 

オタクは夢を見るのが仕事だ。

夢の中に飛び込むために、万全の準備を整えている。

夢の裏にある現実が納得いくものかどうかは、その夢を作る彼らの判断を信じるしかない。

ならば。

友引にHPアップしてオタクにプードル見せ続けた二宮姉弟にも拍手しつつ。

 

はい。更新してきました。

 

それから。

 

先日、知人がトシちゃんのディナーショーへ行かれました。

ダンスでしくってしまったトシちゃんがとても悔しそうにしていて、と話しながら見せてもらったお姿は、そんな失敗吹き飛ぶほどそこに夢を作っておられました。

とても幸せそうに話す知人を見て、私まで嬉しかった。そうある姿が、羨ましかった。

 

いつかを夢見ることを、やめる。

それは多分決断して終えるものでなく、気がつけば忘れるものなのだろう。

じゃぁ、待とう。

別になくてもいいから。

幸せならそれでいいから。

夢見る先が忘れて消えるものでも、その時までは幸福なので。

 

 

元気で歩いていてください。

 

以上、丸3年のオタクの日記でした。

ジャにの2周年の動画見ながら泣いたこと

 

すっかり食いつくスピードが落ちた。

ファンクラブコンテンツも、ジャにのも、大河、その他番組‥どれも出たら即!のかぶりつきだったのに、いまは一呼吸ならぬ熟成っぷりを見せていて、味わう頃には世の波からは程遠いところにいる。

 

特に今は、ゼルダの伝説がでてしまった。3年待った続編だ。心してかからねばならぬので私に湧いた時間は吸い取られるように任天堂へ明け渡してる。

 

ジャにのが2周年。

そんなことにも気がつかないくらいのほほんとハイラルを旅していたのだが、ふとUPされていることに遅ればせながら気づき、2周年かぁ‥そっかぁと少し胸がちくりと痛みながら見た。

 

私、ジャにのはとっても上手なチャンネルだなと常々にのみーの最強軍師っぷりに、拍手喝采組なので、ここをきっかけに風磨が可愛くてならんし、中丸くんをまるで地元の友達みたいに思っとる。山田くんは王子。

その辺りもとてもにのみー上手だなって。

(おそらくにのみーは、なにがグループが一つある方が諸々発揮しやすいのかもしれないなと)

 

だから。

つまり。

 

この度2周年な動画を、私は「そっか。もう2年経つのか」ってほうでチクチクしていた。

かぶりついていたコンテンツから、すこし遠のいてしまうくらいの、熟成してから味わうくらいの、余裕が生まれてしまってることが切なかった。

2年経って、3年目のなかで。あの頃はどうやって息してくんだ?って震えてたのに。

これも時薬なのかなぁなんて、センチメンタルな40代やってたら、

 

サトシ26年間感動をありがとう

 

なんて。やられたわ‥って。

ちょっと、ほんとにちょっとだよ?

泣き笑いになった。

 

うちにもポケモンキッズがいる。

サトシが普通に家に帰って、お母さんのご飯たべたりはしゃいだりしてる姿に、泣けたのもついこないだだ。

新たなお話も、「もしやこのピカチュウ、サトシの‥??」って子どもたちと話したりしては、伝説の影を追っていたりするのだ。

 

だから、知ってる。

サトシ、26年間感動をありがとう

と、お祝いしてることは。

 

にのみーだってポケモン知らんはずがない。にのみの本筋がどんなジャンルのゲームが基本なのか分からんけども、バイオレットもやってるだろう。

 

知らないわけがない。

知った上でこの偶然を、サラッと引用するあたりに

 

ニノミヤカズナリだなー!って、笑ってしまったんだよ。笑って、そんで、ちょっと泣いたんだよ。

 

いつでも帰ってきてね

 

って、言いたくて言いたくて、時々こぼしちゃっては(あ‥)って我に帰ることを繰り返してきた2年。

そんなファンの子ことにのみーは、ものすごく絶妙な距離と絶妙な偶然、それからちょうどいい「わかってる」で、置いていった気がして、

ほんとこういうことすんだよなーって。

 

多分、智さんが何も知らずにこのジャにのみたら笑うだろう。なんだよ、すげーなって。

完全に自分のことだと思ってにのみに連絡したら、「え?あれポケモンだよ?」ってニヤつかれて、そんでまた笑うんだわ。(妄想)

 

 

不思議なもので、このタイミングで会いたくて会いたくて、だからちょっと近しいものは熟成するようになった自分に気がついた。

時折流れる過去映像が、17年前、9年前、なんて言われるたびにまるで“懐かしいよね”ってすっかり遠くにあるものとされてるようで、歌番組見なくなった。

私の安堵はハイラルの大地と空と地底にしかない日々になってしまった。

 

だから。

にのみーが、たとえそこに深い意味なんか何もなくても。

 

いつでも帰ってきてね

 

ってぽんっと投げたから。

私、智に会えた気がしました。

あざす。

 

2年とちょっとすぎたオタクの日記

 

 

私の話をしよう。

大野智殿と同い年のオタク。

それが私。

 

噛み砕いてみよう。

嵐休止発表となれば

「まぁ、いつか来ると思ったよね」

個人仕事しないと思った智さんがマックのCM出た日にゃ

「この!乾いた大地に!雨じゃぁ!恵みの雨じゃぁ!」

Voyage♯16見たかと思えば

「‥‥くぅぅぅ」(言葉にならん)

そして、This is 嵐を見終えて年を跨ぐと同時に、実感のない寂しさがまとわりつき。

ときに聴こえてくる話題に一喜一憂し、一瞬届いた声に打ち震え、何をどう回ってきたのか「いつかどっかで会うことがきたら、ただ拝んでしまう前にいかにライトに、しかしこの深さを正しく伝えるために普段から抱えとかねば」と、流れ星に願いを託すと変わりない速さで即祈れるように構えていたりした。

(あれ、結局祈ってる)  

 

それが私だ。

そんな私の時間も、世界と等しくあれからなんと2年が経った。

 

あれほど怯えてた“大野智のいない日々”は、わりと普通にすぎてきた。

嵐の曲も頻度は減ったけど聞くし、翔さんのドラマやzeroもみる。相葉さんのマナブも動物園も見るし、にのみのドラマもジャにのもみてた。じゅーぅんの生配信だってしっかり聞いてるし、大河だってめちゃくちゃ楽しみにしてる。

 

誕生日に更新されてる公式見ると嬉しいし、Live映画の配信で、嵐に触れたことない人が感想呟くの見るとニマニマしてしまう。

 

ちゃんと2年間私は変わらず嵐の誰かを追い、作品をたのしんでる。

 

ところがだ。

アラフォーのための嵐 - playlist by Happydrops | Spotify

 

配信解禁された頃に、ワクワクした私がいかに嵐を世間に楽しんでもらえるか、しかも同世代にツボりそうなやつ‥!と組んだプレイリストを不意に聞いてしまった。

 

そしたらどうだ。

この2年、ちゃんと楽しんできたはずなのに体が勝手に小躍りしとるのだ。ワクワクしてるのだ。

そしたらあの頃の自分が見えた。もう脳内で勝手に再生されるくらいに聞いてきた曲達から、嬉々として選曲してる様子が。 

楽しそうなのさ、あの時の私。

そしてとてもとても、幸せそうなのだ。

 

幸せな自分と智さんの声。

頭に浮かぶLive映像に、ブワッと込み上げてきてしまった。

 

 

恋しい。

 

 

さみしい。

 

 

会いたいなぁ‥  

 

 

なーんだ。

やっぱ寂しいんじゃないか。

そりゃそうだわ。

と、腑に落ちると泣けてきた。

2年って、嵐が休止発表してからファンの子に尽くしてくれた時間。それと同じだけの時間が過ぎて、やっとわかったのかもしれない。

結局、寂しいもんは寂しいのだと。

 

 

智さんは言った。

「あなたの記憶が大野智です」

 

活動しない間も自分は貴方の理想通りに、そこにいる、と。優しい言葉だなぁと思ってきたけど、この寂しさの前には掴めないホログラムを見つめてるような空虚もあった。優しさの裏手にあるちょっとした棘が、チクチクと溜まった涙の風船を刺したのだ。

だから、いま。

猛烈に寂しい。

 

もれてもうた。涙が。

 

 

嬉々と選曲した中に「Thank you for my days」がある。若い嵐が必死に種まきしていて、少しだけ背伸びして向こうの天気を伺うような。

当時の嵐のことのようで、すごく好きなのだけど、更には若智の声もあまりにもグレープフルーツで果汁が雨のよう。そのなかで、

経験をファイルにして 想い出が明日になった

って歌詞がある。

 

いつか戻ってきて欲しいなとおもってきた。

できればそれは、智さんの中で納得したものであって欲しいと。

それが時が経つにつれ、戻らなくともそれが幸せにつながるのならもう充分だよ、と。

なんか色々聞こえてくるけどどうでもいい。

ただ幸せであるならそれでいい。

 

経験をファイルにして、思い出は明日になる。

智さんもきっとそうなのだと。

 

これまでの経験はちゃんと思い出で、それこそ“死ぬまでの宝”で。その蓄積がちゃんと今の智さんの明日を作ってる。

そんな素晴らしいことないだろう。

ないんだよ。

ないのよ。

最高だろ、そんなん。

ところがだ。

 

この猛烈なら寂しさが、どん!とひとつ現れてしまったからもう

 

帰ってこい!智!

 

と祈らざるを得なくなって、智よ!私も幸せにしてくれよ!という完璧なオタクのわがままが顔を出した。

駄々をこねたい。

駄々をこねたくて仕方ない。

 

そんな2023。3年目のはじまりでござる。

 

忍びの国 Netflix解禁で過去の妄想をひとつ

 


忍びの国、あの無門とネズミが手を繋いで歩いて行ってから‥の妄想でございます。

 


つまりがっつり2次創作です。
キャラをお借りした想像の産物です。

 


ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 


「家」

 

 

 

 

 


母の墓は、里を離れた森の奥にありました。

 

 

 

 


旅の途中、父は「ここだ。」と不意に道を外れ、森の奥へ奥への歩き出しました。
まだ陽は高いというのに薄暗く、まるで襲いかかるかのように、朽ちた木や枯れた蔦が足に巻きついてきます。更には背の高い木々が、枯れ落ちたものを隠し、不気味に葉を揺らしておりました。

 

父はそんな道ならぬ道を黙って踏みならしておりました。おそらく次にここへ来るときには、何の意味もなくしてしまうでしょうに。

なんて無駄な‥と憮然とする私を父はちらりとも見ませんでした。

おそらく、またどれかの木が倒れては朽ちて道を塞ぐでしょう。父の努力の甲斐もなく。

そもそも父ならば、このくらいの雑木林などサッと飛んでしまえるのです。


不機嫌な私は、落ちた小枝の束を見様見真似で踏みつけて父の後を追うと、ほら、と手が差し伸べられました。私の仏頂面を見たのでしょう。ため息のように笑いながら。


手は、こうしてつなぐものだというのを、私は父から教わりました。そのくせ父の手はあんまりにも恐る恐る私の手に触れるのです。
嬉しいような怖いような妙な気持ちで、振り払おうとすると、グッと力を込められました。
そんなことを、私と父はあの日から何度も何度も繰り返していました。


「あぶねぇだろ、しっかり歩け。」


ひょいっと引っ張り上げられて、苦戦していた朽ちた枝の束から助けられてしまいます。
仮にも、自分も物心ついた日から修行をしてきた身です。戦も生き抜いてきましたから、こんな森くらいなんてことはないはずなのです、本来。


なのに。
どうしてか、ずいぶんと下手くそになっていました。


「なぁ。お前、こんなとこもっと簡単に抜けれんだろ。何で歩いてんだよ。」


 私がそう言うと、父は眉を下げるのでした。


父は忍びでした。
あやつの前に門は無し。
だから、無門と呼ばれていたのです。


それほどの男ですから、雑木林一つくらい風のように駆け抜けるはずなのに父は歩くという。
この、生い茂った森を。
身軽なくせに、わざわざ踏みしめるように。


「お前が下手くそだからだろうが。仕方ねぇだろ。」


ふふっと父は笑いました。

こんな風に面白そうに頬をあげるのを、私はいつも下から見上げていたのです。


寒い日でした。


忍び装束ではなく旅芸人に扮した父は、まるで上達しなかった私の忍びの技と、数々の失敗を思い出したのでしょう。
カタカタと背負った荷物が鳴るほどに、肩を揺らし始めました。

繋いでない冷えた手を、ぎゅっと握りしめて黙っているとやっと笑いを抑え、「しょうがねぇ。」と私を抱きかかえました。


そのまま木に飛び上がると、風のように森を抜けるのです。
抱え込まれ父の肩越しに、流れ飛ぶ景色を見ました。
花のような白いものが、ちらほらと舞っていました。あまりに綺麗で手を伸ばしましたが、触れるには遠く、消えてしまいました。

 


墓はとても簡素なものでした。


木と木の隙間。
鬱蒼とする中で唯一光の当たるそこでは、幾分暖かく感じておりました。
そっと降ろされ、何もない場所に突き刺した竹筒の中に花が供えてあります。


美しい、赤い花。


花の名など知らない私は、ただ見ておりました。
私がここへ来たのは、これで二度目。
それなのに変わらず美しく、あの日供えたものではないとわかりました。
花は、散るものですから。


父が供えたのでしょう。

 


「ここなら、誰も邪魔しないと思ったんだがなぁ。」


ものすごく残念そうに口を尖らせて、花の下の地面を撫でました。よく見ると小さな木が植わっています。
まるで返事のようにその木が揺れると、父はふっと頬をあげました。


「多分。ここも変わるだろう、そのうちに。なぁ‥お国殿。」


愛おしそうに、何度も何度も地面に触れる父の猫背を、私はやはりただ眺めておりました。


なんと言えばよいのかわからなかったのです。

 

 


初めてここに来たとき、父は言いました。
織田が故郷を滅ぼし、何人もの見知った人が死んでいくのを目の当たりにした私を連れた後で。


「お国殿。こいつでしたよね?間違えてませんよね?」
と。


お前がネズミだよな?って首傾げながら、矢が降る中連れ出しておきながら。


そして。
あの花を添えました。
なぜだか、結構な額の銭とともに。


「約束の銭です。これで夫婦ですな。突然ですが、息子もできたことですし。」

 


「ここが、我らの国ですな。」

 

 

 

 


あの日から、花は絶えてないのでしょう。
春にはここに野花が咲き誇り、夏には緑をたたえ、秋には暖かな落ち葉をまとい、冬には父が花を添えにくるのでしょう。

 


白いものが舞いました。

 


はらはら、はらはら。


頬に落ちた冷たさに、思わず父の手を探しました。
驚き私を見た父は、すぐに面白そうに頬を上げるとそこに腰を下ろし、私を腕の中に置きました。


「細いな、お前。もっと食わなきゃな。」


母である花の前で、父は私の頭を撫でました。
何度も。


「お国はな、そりゃ美しかった。あまりにも美しいから、わしはいつも夢を見てるんだと思ってたよ。」


花に降る白い綿を、そっとぬぐいながら父は言いました。低い声が、背中から聞こえてきて、それは妙に暖かく私は、うずくまるようにしてその中に閉じこもりました。


「家に入れなくてさ。なかなか一緒には眠れなくてな。だって怖えぇんだもん、怒ると。」

 


「だから、夢じゃねぇんだ。って。そばにいてくれてたんだって。」 

 

 


嬉しかったよなぁ‥

 


って呟く父の腕の中で、とにかく私はじっとしていました。
ここはやっと入れた家なのでしょう。


父と母との。
母の手を思い出しました。
赤い美しい着物。その白い手が、勇ましく薙刀を構え私を背に隠しました。


誰かに守られたことなど、あの時が初めてでした。

 

 


「‥つめたい。」


手に乗った降ってきた白い綿。父に見せると雪ってんだよ、と。
寒くなると降るんだと。伊賀にも降ったのかも知れません。
ですが、こんな美しかったかと何度も手を伸ばす私を見て父はまた笑いました。


暖かい父の腕から出ると、父の背に雪が薄く乗っていました。
柔らかではらはら舞う。
なのに冷たくて、地面に染み込んでいく雪は父のようでした。

 


「行くか。」


と、父は雪を払う。


「ん。」
と、手を差し出して。
さっきより少し冷たくなった手を握ったまましゃがみこみ、父を習って地面を撫でました。

 


「母上。また参ります。」

 


私がそう言うと、父は目を細めました。


旅がまた始まります。
あの荷物の奥にある忍び装束は、時折する父の仕事道具のひとつ。
変わったようで、変わらないことでした。
ですが、私は知っています。
腰の刀は、錆びていましたから。


雪が降る。


日が沈み始めて、母が森に飲み込まれていくのを何度も振り返り、振り返り、その度に父は私の手を強く引きました。


父と母の墓を訪れたのは、あれが最後でした。


旅をしながら、父に育てられ、やがて父が亡くなった後私はおぼろげな記憶を頼りに母の墓を探しました。


森の中。赤い花。
そんな記憶しかなかったので、大変苦労しました。
あの時、きちんと父について歩けばよかったと何度も後悔しました。
きっと父は、道を教えようと歩いてくれていたのでしょうに。そしていつか、私が1人で来る時に歩けるようにとしていてくれたのでしょう。

 


そうしてやっとみつけたのです。

 


世が変わり、国の主も変わる中で鬱蒼とし続けている森の中。


その中に、まるで目印のように桜の木が1本植わっておりました。


淡い桃色を揺らし、父が何度も撫でた地面をその根が覆って。


「母上、父上はそちらに無事参りましたか。」


そう、たずねて腰を下ろしました。


父のように木々の隙間をを駆け抜けることができたら、こんなに疲れ果てることもなかったのでしょうが、変わらず下手くそな私はすっかり擦り傷だらけでした。


春の陽気のなか、桜は揺れました。


すると頬を冷たいものが当たるのです。


思わず見上げると、雪でした。
桜に雪が降り注いでおりました。

 


「父上‥いや、とうちゃん。無事母は家に入れてくれたようですね。」

 


あの日から、私は父に育てられました。
父が言うには、母は大層美しく
そして、怖い人だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月 1年半の日記

 

 

6月だ。

2022年の6月になった。

1年半経った。

 

なんだか、ぼんやりとしてしまってる。

どうしたものだか。

 

記憶というものは、聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚の順で消えていくものらしい。

 

なるほど。

ふと思い出す記憶は、なんとなく匂いに紐づいてることが多い。夏のむせかえるような草木の匂いと、その時見た景色とか、春のこもった香りと白く霞んだ視界とか.

 

しかしだ、ちょっとまて。

その話でいくと私は智の声から忘れてくことになる。

そんなわけあるかい、とツッコミながらも休止から1年半経って感じるのは記憶がそおっと霞のように薄れてく感覚だ。

 

ほんとに嵐いたよね?

大野智ってたしかに居たんだよね?

 

間違いないことまで薄らと滲むくらいには、時間が経ったのかもしれない。

 

そんなもわっとした気持ちの中に、入り込んできたのが先日の夜会での「歌詞を語るショウサクライ」であり、にのみのカバーアルバム。

 

割と智さん寄りの場所で息してるけれど、にのみの音楽センスやカバーの良さはだいぶ好みであるし、安藤裕子で20代を過ごした私にとってラジオでの、「のうぜんかつら」のカバーはとてもとても“にのらしい”ものだった。選曲もその表現の仕方も。ミセスの「Attitude 」もそうだ。

「happiness」のメロラインを絶対ピアノなんだよなーって呟くような感覚が、そこには詰まってると思うし、この感覚でまらしい氏を起用したりしてきたのだろうなと。

全てがしっかりニノ軸の音楽だ。カバーアルバムでもそこがブレずにあるのだろうと思う。

思うから、なんというか、うん。

私は、ちょっと嫉妬してしまった。

 

で、先日の夜会を見て、翔さんの中の“音楽”が少しばかり過去の話として語られている事にぞわっとなった。

星野源を迎え、みんなで歌詞について語り合い宇多田ヒカルの「first Love」を恋心として出してきた翔さんは、ものすごくショウサクライだったし、やはりそこでも景色や物語を見るのだなと思うとかつてラジオで、「二人の記念日」の“ベルなろうとも少しの不在”を語る翔さんと同じように思えてちょっと上がった。

 

そうしたら。

なんだか、智の声がとてもとても恋しくて。

1年半経って縋るように聴きあさりだした。

 

リアルタイムで聞いていたときは、歌割りがどうとか、今のフレーズいままでなら智さんが担当だったよなとか、余計にあれもこれも「今までと違う」事に敏感になって、アホな私は元に戻ればいいのにと祈り続けたりしていて。

とてもとても、もったいないことをしたんだなと。

あの時の大野智は、あの時にしかいなかったし、あの時の嵐の音楽がそこにあったというのに、溢れすぎて麻痺してたんだろうな。

 

智が恋しいです。

でも、彼が今フツーに生活していて、それで日常が済んでいるのならば、その方が良い。

 

でも、声から忘れる人間の私は、“まぶた閉じ浮かべた そこには褪せない世界”のはずが、ゆっくりと褪せはしなくとも輪郭がぼんやりしてくるのを感じてる。

そこに色はあるのに、あったはずの形が読み取り辛くなっていく。

だから、更新せねばならん。

 

星野源は、愛とはそこにふわっとあるものだ

と言ってた

じゅーぅんは、これからも嵐の音楽を愛してくださいと言った

智はあなたの記憶が大野智そのものだ、といった

愛とは僕です、とも。

 

恋しくて、過去に戻りたくなってしまうのは多分、輪郭を取り戻す作業なのだと思う。

夢だったのかと思うくらい、色だけを残してそこにふわっとある感情に、もう一度名前と形をつける事は、多分今後の私を支えるんだろう。

 

 

 

 

つまり。寂しい。それだけ。

 

 

 

にのみぃが、二宮和也だった。(短い)

 

何の話だといわれたら、それまでなんですけど。

 

私、青い沼に長らく住んでおりますがそれぞれのメンバーがanan載るとなったら、チェックは欠かさずにしておりまして。(あと白シャツ写真の女性誌連載)

 

ananならではの視点は毎度、その時々の切り取りがだいぶ「面白い」のですよ。

有名どころは翔さんのオトコノカラダですけども、変な話やらしくないのに最高値にエロいから、さすがだなと真顔になりましたし、同じく脱いだパターンのJはだいぶ甘くてオラオラなイメージの松本潤を脱がせておいてのじゅーぅんな雰囲気あるの見事でしたし。

相葉さんのはオフトゥンにゴロゴロしてたやつが、マジでこの人リア恋枠だな‥となりましたし。

にのみーのは白セーターもふっとしたのが、にのでしたし(ごめん。けん玉は省く)一途とはまた違うタイプの湿度があるのが好きでした。

ちなみに、智さんので1番好きなのは忍びの時の白Tシャツです。最高。

 

だから何だなんですけど。

 

驚いたんです。

この度のanan、二宮和也な姿を見て。

 

嵐の「にの」はまるで見えなかったんです。

佇まいとか表情。もちろんコンセプトもドラマの役があった上での姿なのだろうとは理解してますけど。

でもそんなの、ananに載る時は大抵そうだったわけで、何を今更な話なのに。

 

俳優・二宮和也

そんな感覚がすごく湧きました。

 

嵐をやる中で、嵐はアイドルに間違いないのだけれどそれぞれの顔をもっていて。

でも、基準はアイドルを置いていたと思うのですよ、いつも。

休止の今、それをすこしばかり傍に置いておいてもいいって、やっぱ大きな事なのだなぁと。

この期にまさかのananで感じてしまった。

 

西島秀俊さんみたいだなーって思ったんですよ。ドライブマイカーが話題だからとか、私がとてもとても、昨日なに食べたのファンだからとかそう言うのも土台にあるからの思い込みなんでしょうが。ラストレシピも99.9も観たからかもですが。

 

不思議とね、そう言うの寂しくならなかったんですよ。

と、いうか嬉しかったんすよ。

何が?とか、なんの話?って感じなんですけど。なんだろうなぁ、それが妙に嬉しくて嬉しくて、にまぁ‥ってなったんですよ。

 

って話です。はい。以上。